鹿児島地方裁判所 昭和59年(ワ)223号 判決 1993年4月30日
原告
米満勝
原告
松枝覚
原告
鳥丸昭三
原告
柿本操
原告
武田佐俊
右五名訴訟代理人弁護士
田邨正義
同
大橋堅固
同
彦坂敏尚
同
倉科直文
同
井之脇寿一
右訴訟複代理人弁護士
石井将
被告
日本国有鉄道清算事業団
右代表者理事長
西村康雄
右訴訟代理人弁護士
和田久
右訴訟代理人
荒上征彦
同
利光寛
同
増元明良
同
松尾年明
同
内田勝義
同
横山文彦
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 原告鳥丸昭三、同武田佐俊と被告との間で、原告鳥丸昭三、同武田佐俊が被告に対し雇用契約上の権利を有することを確認する。
二 原告米満勝、同松枝覚、同柿本操と被告との間で、原告米満勝が平成二年三月三一日まで、同松枝覚が昭和六三年三月三一日まで、同柿本操が平成三年三月三一日まで、被告に対しそれぞれ雇用契約上の権利を有したことを確認する。
第二事案の概要
本件は、日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)の職員であった原告らが、国鉄がした原告らに対する日本国有鉄道法(以下「国鉄法」という。)三一条による免職処分が、懲戒権の濫用で無効であるとして、国鉄から移行した被告に対し雇用契約上の権利を有すること等の確認を求めている事案である。
一 当事者間に争いがない事実
1 当事者の地位
国鉄は、国鉄法に基づいて設置された公共企業体で鉄道事業等を営んでいたものであるが、昭和六二年四月一日国有鉄道改革法一五条、同附則二項、日本国有鉄道清算事業団法附則二条により、被告に移行された。
原告米満勝(昭和五年三月三〇生)は、昭和二二年六月九日国鉄に雇用され、同五八年一一月一五日当時鹿児島鉄道管理局管内の吉松駅に勤務し、同五六年八月二九日以降国鉄労働組合鹿児島地方本部(以下「国労鹿児島地本」という。)執行委員(業務部長)の地位にあった。
原告松枝覚(昭和三年三月一五日生)は、同二二年一〇月二一日国鉄に雇用され、同五八年一一月一五日当時鹿児島保線区に勤務し、同五〇年八月三〇日以降国労鹿児島地本鹿児島支部執行委員長の地位にあった。
原告鳥丸昭三は、同三七年四月一日国鉄に雇用され、同五八年一一月一五日当時鹿児島機関区に勤務し、同五七年九月二三日以降国労鹿児島地本執行委員(組織部長)の地位にある。
原告柿本操(昭和五年七月二八日生)は、同二〇年四月一日国鉄に雇用され、同五八年一一月一五日当時鹿児島車両管理所に勤務し、同五二年一一月一日以降国労鹿児島地本工場支部執行委員長の地位にあった。
原告武田佐俊は、同三八年六月一日国鉄に雇用され、同五八年一一月一五日当時志布志保線区に勤務し、同五六年九月五日以降国労鹿児島地本志布志支部執行委員長の地位にある。
なお、日本国有鉄道清算事業団就業規則一六条一項により「職員は、定年に達したときは、定年に達した日以降における最初の三月三一日に退職する。」と、同条二項により「前項の定年は、年齢六〇歳とする。」とそれぞれ規定されている。
2 国鉄による原告らに対する免職処分
国鉄は、昭和五八年三月に国労鹿児島地本が実施したいわゆる合理化反対闘争(以下「本件合理化反対闘争」という。)を指導したことなどが職員として著しく不都合な行為にあたるとして、同年一一月一五日原告らを国鉄法三一条により免職とする処分(以下「本件免職処分」という。)をした。
3 原告らの過去の懲戒処分歴及びその事由
(一) 原告米満勝
(1) 昭和三四年五月六日 戒告
昭和三三年一〇月二八日、勤務時間中無断で欠勤した。
(2) 昭和四四年八月一日 戒告
国労が、いわゆる合理化反対闘争を実施した際、昭和四三年九月一二日鹿児島運転所において、職員として著しく不都合な行為があった。
(3) 昭和五三年六月三日 戒告
昭和五二年三月二八日、いわゆる春季三・二八闘争を実施した際、国労吉松支部書記長として、これを指導し、業務の正常な運営を阻害した。
(4) 昭和五三年一〇月九日 戒告
昭和五三年春季闘争を実施した際、国労吉松支部執行副委員長として、これを指導し、業務の正常な運営を阻害した。
(5) 昭和五六年二月一日 戒告
国労吉松支部副委員長として、昭和五四年四月二四日ストを指導し、業務の正常な運営を阻害した。
(6) 昭和五六年一二月一九日 戒告
昭和五五年一二月二五日再建法反対闘争等を指導した。
(7) 昭和五七年二月二七日 減給(一月間俸給の三〇分の一)
昭和五六年春闘等を指導した。
(8) 昭和五八年二月一九日 減給(一月間俸給の一〇分の一)
昭和五六年一〇月、一一月及び昭和五七年三月、闘争等においてこれを指導した。
(9) 昭和五八年三月二六日 減給(三月間俸給の一〇分の一)
昭和五七年一一月一三日及び一四日闘争に際して、これを指導した。
(10) 昭和五八年七月二日 減給(一月間俸給の三〇分の一)
昭和五七年一二月一六日、人事院勧告、仲裁裁定の完全実施及び年末手当削減抗議闘争において、これを指導した。
(二) 原告松枝覚
(1) 昭和四四年八月一日 戒告
国労が、いわゆる合理化反対闘争を実施した際、昭和四三年九月一二日鹿児島運転所において、職員として著しく不都合な行為があった。
(2) 昭和四七年七月一日 減給(一月間俸給の一〇分の一)
国労がいわゆる春季統一行動を実施した際、昭和四六年五月一八日鹿児島保線区において、許可なく勤務を欠くなど職員として著しく不都合な行為があった。
(3) 昭和五一年八月二一日 減給(三月間俸給の一〇分の一)
昭和五〇年一一月二六日から一二月三日にかけて、いわゆるスト権奪還闘争を実施した際、国労鹿児島支部執行委員長としてこれを指導し、業務の正常な運営を阻害した。
(4) 昭和五二年九月一〇日 減給(一月間俸給の三〇分の一)
昭和五一年三月一七日いわゆる春季三・一七闘争を実施した際、国労鹿児島支部執行委員長としてこれを指導し、業務の正常な運営を阻害した。
(5) 昭和五三年六月三日 減給(一月間俸給の一〇分の一)
昭和五二年三月三〇日及び四月二〇日いわゆる春季三・三〇、四・二〇闘争を実施した際、国労鹿児島支部執行委員長としてこれを指導し、業務の正常な運営を阻害した。
(6) 昭和五三年一〇月九日 減給(一月間俸給の一〇分の一)
昭和五二年秋季闘争及び昭和五三年春季闘争を実施した際、国労鹿児島支部執行委員長としてこれを指導し、業務の正常な運営を阻害した。
(7) 昭和五六年一月三一日 減給(三月間俸給の一〇分の一)
国労鹿児島支部執行委員長として、昭和五四年四月二五日ストを指導し、昭和五四年四月二五日西鹿児島駅において、許可なく鉄道施設にビラ貼りを行った。
(8) 昭和五六年八月一四日 戒告
指令一七号に基づいて、国労鹿児島支部執行委員長として、職場を指導したことにより、長期にわたり、鹿児島信号通信区鹿児島第一支区及び鹿児島第二支区の職場を混乱させた。
(9) 昭和五七年二月二七日 減給(一月間俸給の一〇分の一)
五六年春闘を指導した。
(三) 原告鳥丸昭三
(1) 昭和四四年九月一日 減給(一月間俸給の三〇分の一)
国労が、いわゆる合理化反対闘争を実施した際、昭和四三年三月一、二日鹿児島工場において、職員として著しく不都合な行為があった。
(2) 昭和四九年六月一日 停職(一月間)
昭和四八年四月一七日鹿児島駅において、列車の発車を妨害し、これを指導した。
(3) 昭和五〇年九月一日 減給(二月間俸給の一〇分の一)
昭和四九年三月二七日鹿児島電務区で、管理者の制止を聞かず、鉄道施設にビラ貼りを行った。
(4) 昭和五六年一月三一日 戒告
昭和五四年四月二四日鹿児島機関区において、許可なく鉄道施設にビラ貼りを行った。
(5) 昭和五八年一月一〇日 停職(三月間)
昭和五七年一一月一二日国労鹿児島車掌区分会に対して、二四M列車(特急寝台なは号)点呼の際、業務命令を妨害するようそそのかし、正常な業務を阻害した。
(6) 昭和五八年七月二日 減給(一月間俸給の三〇分の一)
昭和五七年一二月一六日、人事院勧告、仲裁裁定の完全実施及び年末手当削減抗議闘争において、これを指導した。
(四) 原告柿本操
(1) 昭和四一年一一月一日 戒告
昭和四一年四月二六日、国労が公労協交運共闘の一環として、南福岡電車区において統一闘争を行った際、これに参加した。
(2) 昭和四四年一月一〇日 停職(一月間)
昭和四三年三月二日鹿児島工場における合理化反対闘争の際、組合員多数を指揮し、正常な業務の運営を阻害した。
(3) 昭和四四年三月二五日 減給(一月間俸給の三〇分の一)
昭和四三年九月一二日、鹿児島運転所において実施された半日ストの際、職員として不都合な行為があった。
(4) 昭和四五年九月三日 減給(一月間俸給の三〇分の一)
昭和四五年四月三〇日国労が鹿児島地区において実施した春闘統一行動の際、これに参加し許可なく勤務を欠いた。
(5) 昭和五三年一〇月九日 戒告
昭和五三年春季闘争を実施した際、国労工場支部執行委員長として、これを指導し、業務の正常な運営を阻害した。
(6) 昭和五六年一月三一日 減給(一月間俸給の三〇分の一)
昭和五五年三月三一日春闘を実施した際、国労工場支部執行委員長として、これを指導した。
(7) 昭和五七年二月二七日 戒告
昭和五六年三月六日闘争を実施した際、国労工場支部執行委員長として、これを指導した。
(五) 原告武田佐俊
昭和五七年二月二七日 減給(一月間俸給の三〇分の一)
昭和五六年四月三日闘争を指導した。
二 争点
本件免職処分が、懲戒権の濫用で無効かどうか。
この点についての双方の主張は、次のとおりである。
(被告の主張)
1 本件合理化反対闘争に至る経緯
(一) 本件合理化の背景とその内容
国鉄の経営状態は危機的状況にあり、国鉄にとってその経営の健全化を図ることが緊急の課題であった。経営改善の具体的方策としては、昭和六〇年度において、職員三五万人体制を確立することである。
昭和五七年七月三〇日に政府に提出された、臨時行政調査会の基本答申において、国鉄問題が最重要点の課題としてとり上げられ、五年以内に分割・民営化することが提言されている。そして、この分割・民営化という新形態移行まで国鉄のとるべき措置として、<1>職場規律の確立、<2>新規採用の原則停止、<3>作業方式・業務の部外委託等の抜本的見直し、<4>各現場の要員数の徹底的合理化等が要求されている。
右答申を受けた政府は、昭和五七年九月二四日の閣議において、行政改革の大綱を定めるとともに、国鉄の再建について異例の政府声明を発表し、あわせて当面緊急に講ずべき一〇項目の対策を決定した。
そこで、国鉄は、右基本答申及び閣議決定による緊急対策において指摘されている新規採用停止を昭和五八年度から実施する旨決定した。
このような中にあって、国鉄の地方機関である鹿児島鉄道管理局(以下「鹿児島局」という。)は、昭和五七年度の合理化施策として、次のもの(以下「合理化七案」という。なお、(1)ないし(3)を「合理化三案」という。)を実施することとし、実施期日は昭和五八年三月一日と決定した。
(1) 昭和五七年度営業体制の近代化
(2) 運転区所における車両検修業務の部外能力活用範囲の拡大等
(3) 電気保全業務改善
(4) 昭和五六年度近代化・合理化の実施期日等の変更
(5) 指宿枕崎線(西鹿児島・山川間)CTC化使用開始その他
(6) 鉄道寮等業務の部外委託及び要員運用合理化
(7) 鉄道管理局(本局)の要員縮減
(二) 合理化七案に係る団体交渉の経過
鹿児島局は、合理化七案について、昭和五七年一二月二八日から二九日にわたり、関係各組合に対して事前説明を行ったうえ、同五八年一月一七日、国労鹿児島地本及び動力車労働組合鹿児島地方本部(以下「動労鹿児島地本」という。)に対し、同月三一日には、鉄道労働組合鹿児島地方本部(以下「鉄労鹿児島地本」という。)に対して、実施期日を同年三月一日とすることを含めて、それぞれ提案した。以来、鹿児島局は、右各組合と鋭意交渉を重ねてきたところ、動労鹿児島地本とは同年三月七日深夜、鉄労鹿児島地本とは同年三月八日未明に、それぞれ円満に妥結するに至った。
ところが、国労鹿児島地本は、鹿児島局の再三にわたる団体交渉促進方の要請に対して、「まだ早い」と回答するのみで、一向にこれに応じようとしなかったが、鹿児島局の度重なる要請によって、提案以来約一か月後の同年二月一四日に至り、ようやく第一回目の交渉に応じた。しかし、国労鹿児島地本は、合理化三案とは直接関係のない事項を主たる内容とする解明要求を繰り返し、本論の内容に対しては、具体的対応を示さず、交渉は遅々として進展しなかった。鹿児島局は、合理化三案の実施時期を延長するなどして、国労鹿児島地本と鋭意交渉を行い、最終段階に達した三月四日に至り、文書をもって、国労鹿児島地本に対し、交渉中の合理化三案については、「昨日までの交渉経過から三月五日で終了すると判断している。この見解に対して貴側が否定するのであれば、三月六日に交渉を設定するので応じられたい。三月六日に貴側が交渉に応じないならば、当局は三月五日で解明はすべて終了したものとみなす。」旨を通告したが、鹿児島地本は、なんら具体的対応を示すことなく、三月四日の団体交渉を一方的に打ち切り、更に三月五日の団体交渉を拒否するとともに鹿児島局が提示した三月六日の団体交渉にも反対し、三月七日の団体交渉には応じなかった。
(三) 合理化三案に対する国労鹿児島地本の反対闘争実施の計画等
(1) 昭和五八年一月一七日、鹿児島局の合理化三案の提案を受けるや、二月一〇日合理化対策委員会を開催し、本件合理化交渉に対する基本的対応として、<1>交渉は、当局の一方的実施を許さない配置を行う、<2>交渉によって他の組合の先行妥結を許さない、<3>鹿児島地本は、三月一五日、一六日を目標に到達点作りができる方向で交渉を追い上げるなどの意思統一を確認した。
(2) 三月五日、合理化三案の実施に対して、次の事項を協議決定した。
<1> 三月七日、当局が一方実施の挙に出た場合は、管理局前に最大動員による集会を開催し抗議行動を展開する。
<2> 具体的闘いは、三月七日一方的実施が行われた以降、組合旗掲揚、腕章着用闘争を展開する。
<3> ビラ貼り・看板闘争については、当局が官憲と一体となった攻撃に出てくると想定し、全職場で創意をこらし、波状的に展開する。
<4> 合理化による一方的実施は認めないことから、当該職場における作業変更・配転作業については、応じないこととする。
(3) 三月七日、傘下の各支部に対し、同日団交が決裂したとして、同日から組合旗掲揚、腕章着用闘争を実施するよう指令した。
(4) 三月八日、支部代表者を集めた闘争委員会を開催し、具体的闘争方針を決定し、同日傘下の各支部に対して次の事項などを指令した。
<1> 三月八日以降、組合旗掲揚、腕章着用、ビラ貼り、ビラ配付闘争を展開する。
<2> 合理化は、労使未整理の立場から、これを認めないことを各現場長、運輸長に申し入れる。
<3> 当局が、合理化実施に伴う説明会を行う場合は、これを拒否し抗議する。
<4> 合理化にまつわる工事及び外注会社の併行作業については、一切認めないことを現場長に通告する。
(5) 三月一〇日、執行委員会を開催して、鹿児島局による三月一四日から行う委託業者への出改札及び荷物取扱業務の引継ぎを阻止するなどの闘争方針を決定した。
(6) 三月一七日午後四時三〇分ころから約一時間、鹿児島局庁舎前の広場において、約五〇〇名からなる抗議集会を開催して気勢をあげた。
2 本件合理化反対闘争
本件合理化反対闘争は、国労鹿児島地本が、鹿児島局管内の山川駅ほか一七箇所の現業機関において、昭和五八年三月九日から同月二八日までの間実施した、近年稀にみる長期にして、かつ、大規模なものであった。中でも、山川駅、南宮崎駅及び西都城駅においては、駅当局の指揮命令を排除して、国労所属の駅職員をして出札及び改札等の業務を不法に取り扱わせて、旅客から受け取った現金を組合の管理下におく、いわゆる組合による生産管理の状態を生じさせるという、極めて異常なものであった。
その他、山川駅、南宮崎駅、西都城駅、川内駅、栗野駅、串間駅及び岩川駅においては、駅業務の一部を民間の委託会社に引き継ぐ予定であったが、国労所属の多数の組合員が、駅執務室にピケを張るなどして、その引継ぎを妨害した。また、運転関係職場である鹿児島機関区、都城客貨車区、鹿児島運転所及び鹿児島運転支所においては、運転区所における車両検修業務の部外能力活用範囲の拡大等の実施にあたり、各職場で新たな業務執行体制について、職員に対する説明会を開催したが、国労所属の職員は、これに参加しなかった。
本件合理化反対闘争により、旅客列車一九本が遅延したほか、川内駅ほか一三箇所の現業機関において、延人員一四四八名が合計七〇六七時間四五分もの長時間欠務するに至った。
3 本件免職処分
原告らの次の行為は、国鉄の正常な業務の運営を阻害したものであり、国鉄法三一条及び日本国有鉄道就業規則六六条一七号等に該当することが明らかであるので、国鉄は、原告らを昭和五八年一一月一五日、本件免職処分に付した。
(一) 原告米満勝
原告米満は、国労鹿児島地本の執行委員として、本件合理化反対闘争に参画し、自らも、三月一九日西鹿児島駅に赴き、同駅における闘争に参加し、これを直接指揮した。
(二) 原告松枝覚
原告松枝は、国労鹿児島地本鹿児島支部執行委員長として、本件合理化反対闘争を指導し、自らも、三月一三日から一六日にかけて山川駅に、三月一八日には西鹿児島駅に赴き、右各駅における闘争に参加し、これを直接指揮した。
(三) 原告鳥丸昭三
原告鳥丸は、国労鹿児島地本の執行委員として、本件合理化反対闘争に参画し、自らも、三月一四日山川駅に、三月一八日及び一九日西鹿児島駅に赴き、右各駅における闘争に参加し、これを直接指揮した。
(四) 原告柿本操
原告柿本は、国労鹿児島地本鹿児島工場支部執行委員長として、本件合理化反対闘争を指導し、自らも、三月一七日鹿児島車両管理所において、同所における「職員の職場離脱」を教唆煽動し、これを実行させた。
(五) 原告武田佐俊
原告武田は、国労鹿児島地本志布志支部執行委員長として、本件合理化反対闘争を指導し、自らも、三月一三日岩川駅に、三月一五日、一六日、一八日ないし二一日及び二四日串間駅に赴き、右各駅における闘争に参加し、これを直接指揮した。
(原告らの主張)
1 合理化七案の内容
(一) 合理化七案は、昭和五六年度以降鹿児島局管内でも数度にわたり実施されてきた一連の合理化の一環であるが、今回の合理化の実態は、業務廃止・民間委託などによる要員削減であり、その削減数は合計四七八名で、当時の鹿児島局管内の職員数の八パーセントに及ぶ大規模なものであった。加えて、業務廃止や民間委託により職場を失った職員を含めた、多数の職員が従来とは異なる勤務地への配転、他職種への転換、勤務時間の変更を強いられて、その労働条件に大きな影響を受けるものであった。
また、今回の合理化によって要員削減等の影響を受ける職員(ただし、管理職を除く。)の大部分は、国労鹿児島地本所属の職員であった。
鹿児島局は、国労鹿児島地本との誠実な団体交渉を経ることなく、合理化を実施することは許されなかった。
(二) 被告は、当初、合理化七案の内、合理化三案のみが今回鹿児島局が提案し実施しようとした合理化であるかの如く主張した。しかし、これは事実を歪めるものである。
合理化三案以外の四事案も重要な合理化事案であり、国労鹿児島地本は、合理化七案の全てについて誠実かつ精力的に鹿児島局と交渉を重ね、昭和五八年三月二日までに、合理化三案以外の四事案については妥結した。また、残された合理化三案についても後記のように、交渉は進行しており、昭和五八年三月七日時点では、同日を含めて残り数日で妥結に至るべき状況であった。
(三) 合理化七案の実施時期は、電気保全改善については、提案時から昭和五八年四月一日であり、三月一日実施とされていたものについても、今回提案の合理化は、昭和五七年度末(昭和五八年三月末)に計画の要員減数にみあう数の退職と、民間団体への業務委託とを前提としていたものであるために、四月にならなければ実施できないものが殆どであった。
2 合理化七案に対する国労鹿児島地本の基本方針
(一) 合理化七案に対する国労鹿児島地本の基本方針は、国鉄の厳しい経営状況を踏まえて、退職者不補充の方法による合理化を行うことはやむなしとして反対しない。ただし、その合理化実施については次の原則を遵守することを求めるというものであった。
(1) 合理化は、近代的労使関係と正常なルール及び信義誠実の原則に則った労使交渉を経て実施する。
(2) 合理化にあたっては、従来の労働条件を維持ないし向上する。
(3) 従前の労使協定・協約に従った合理化を実施する。
(4) 年度末における退職による欠員と受託要員の供給の見通しを明確にする。
(5) 従来労使間の懸案であった問題を先行解決する。
右原則は、同年一月三一日付けの国労鹿児島地本から鹿児島局宛の「第一三回団交提案の交渉開始についての基本解明について」と題する書面においても具体的に表現されていたものであり、昭和五八年二月一〇日国労鹿児島地本が招集した合理化対策委員会においても組合内の確認を得ている。
(二) 交渉のすすめ方について、右二月一〇日の合理化対策委員会において承認された方針は、
(1) 交渉は精力的に配置し、二月末までに妥結に関し一定の判断ができるようにする。
(2) 交渉内容は常に職場での討議を集約しつつ交渉をつめる。
を根幹とするものであった。
右(1)の方針からも、国労鹿児島地本は、合理化七案について、早期妥結を図る意図であったことは明白である。また、右(2)の方針は、団結体としての労働組合が守るべき組合内民主主義の必要性から生ずる最も基本的な原則である。
(三) このように、二月一〇日の合理化対策委員会は、合理化七条について労使交渉により早期妥結をめざすための方針を検討する会議であったことは明白である。被告は、右合理化対策委員会があたかも合理化反対闘争を計画準備するためのものであったかの如く主張するが、これは事実に反する。
3 合理化七案にかかる交渉の経過
(一) 前記基本方針に従い、国労鹿児島地本は、合理化七案について、精力的に鹿児島局と交渉を行った。その手順は、国労鹿児島地本から鹿児島局に対し、合理化七案の具体的実施内容に対する釈明要求と合理化案に対する要求とを兼ねた「解明要求」を行い、これに対する鹿児島局の回答とこれを踏まえた労使間討議によって労使の争点を絞りこむ「解明」手続の後で、各職場の労働者の要求を集約した最終的「要求」を同組合が提示し、これを労使の交渉により決着するというものであった。
(二) 国労鹿児島地本は、右各段階での解明手続の節目において、解明の結果を各支部、各職場に報告し、職場段階での組合員の討議を踏まえて組合員の声を集約する過程をとりつつ、右のような手順で団体交渉をすすめた。
このような団体交渉の手順は、労使間において定着していたものである。
(三) 昭和五八年二月一〇日の前記合理化対策委員会が開催された後においては、ほぼ連日もしくは一日おきに労使交渉が展開され、三月二日までの間に、合理化三案以外の四事案については、妥結された。
合理化三案については、事案の複雑さに加えて、国労鹿児島地本からの解明要求に対する鹿児島局回答の不十分さ、三月三日の実施が確定しているために、最も優先的に交渉が持たれる必要のあったCTC化問題に労使とも交渉の大きな部分をそがれたことなどから、三月四日までの間に妥結することはできなかったが、これも遅くとも三月一〇日ころまでには妥結に至るところまでこぎつけていた。
このような交渉進展状況のもとで、国労鹿児島地本は、予め三月五日(土曜日)に各支部・分会の代表者らを「各支部・分会・職協三役・青婦役員合同会議」に招集していたが、これは交渉の重要段階において組合員らの声を集約して、最終的な妥結に向けての交渉の進め方等を確認するためのものであった。
(四) 被告は、国労鹿児島地本が鹿児島局からの団体交渉促進方の要請に対してこれに応じなかったとか、提案以来一か月間団体交渉をしなかったとか主張するが、鹿児島局から右のごとき団体交渉促進方の要請がされた事実はないし、国労鹿児島地本が団体交渉を引き延ばしたような事実もない。
また、被告は、国労鹿児島地本のした解明要求が鹿児島局の提案した合理化案とは直接関係のない事項を内容としていたとか、国労鹿児島地本が合理化案に対して具体的対応を示さなかったとか、交渉は遅々として進展していなかったとか主張するが、これも事実に反する。
4 鹿児島局による一方的な交渉打切り
(一) 合理化三案について、三月七日以前に妥結しなければならない特別の事情はなかった。
しかるに、鹿児島局は、国労鹿児島地本との間で長年積み上げてきた相互の信義・信頼に基づく団体交渉のルールを故意に無視し、一方的に合理化を実施しようとした片岡総務部長の強引な意向にひきづられて、次の経過で一方的な団体交渉の打切り、合理化強行実施の暴挙に出た。
(二) 被告主張の二月二三日付け文書(総務部労働課長名義)、及び二月二八日付け文書(片岡総務部長名義)は、いずれも片岡総務部長の意向に従って国労鹿児島地本に対して出されたものであるが、交渉進行中の事案について、その交渉妥結が合理的には期待しえない日を敢えて交渉妥結日として一方的に指定するものである。特に二月二八日付けの文書は、指定された日までに交渉妥結しない場合は予定の合理化を、当局が一方的に実施する旨通告してきたものであって、労使が継続的に交渉してきていた当時の実情とは全くそぐわないものであった。
(三) さらに、片岡総務部長は、昭和五八年三月四日、同人名義の文書(「当面の交渉事案の取扱いについて」と題するもの)により国労鹿児島地本に対し、同日現在交渉中の合理化三案について、通告をした。
しかし、この通告は、三月四日まで精力的に継続されていた労使交渉の経過を意図的に無視して、妥結間近の国労鹿児島地本との交渉を急ぎ打ち切って、一方的な合理化の実施を強行する企図のもとにされたものであった。
右通告には、合理化三案について、「要求は文書で(三月七日の)一二時までに提出されたい。」「一二時を過ぎた場合はいかなる要求といえども受理しない。」とか、「三月五日あるいは三月六日に交渉を設定する。」とかの記載がある。しかし、前記のように、三月四日現在解明手続が進行中であり、この解明手続は週明けの三月七日(月曜日)に続行されることが当事者双方の交渉委員間で確認され、これを前提に右解明手続に参加すべき国労鹿児島地本の各職場代表者らが三月七日に招集される事態になっていた。
被告は、国労鹿児島地本が三月四日の団体交渉を一方的に打ち切ったとか、その後の団体交渉を拒否したかの如く主張するが、前記の事情から事実に反することが明らかである。
(四) 国労鹿児島地本は、三月五日以降予定どおり七日の交渉(解明手続)に臨むべく準備を続けるとともに、念のため鹿児島局に対しては文書あるいは口頭で再三にわたり七日以降の交渉を継続するよう求めた。しかし、鹿児島局は、片岡総務部長の意向に引きづられて、三月七日には当日朝からの交渉に当局側交渉委員を出席させないとともに、同日一二時になると、折から交渉継続を求めて片岡総務部長と面談中の国労鹿児島地本書記長に対し、一方的に本件合理化に関する団体交渉の打切りと合理化の強行実施を通告した。
5 本件合理化反対闘争について
(一) 本件合理化反対闘争は、団体交渉がまとまらないまま、鹿児島局により合理化が一方的に実施されたことに対する抗議行動である。例えば、原告柿本が関わった工場支部―鹿児島車両管理所において、行われた行動についてみると、右行動は、<1>組合旗の掲揚、腕章・ワッペンの着用、<2>職場集会の開催(三月一四日、三月一六日、三月一七日)、<3>年休不承認者の職場離脱に要約される。
組合旗の掲揚、腕章・ワッペンの着用者ないしそれを指令した者に対する懲戒処分は、戒告でも重すぎる。
三月一四日、一六日の職場集会は、昼休み時間に、工場内の広場で行われたもので、届け出がされていなかったという手続違反があるだけで、戒告の必要もない。三月一七日の集会は、午後四時三〇分から開催されたものであり、当局が休暇を許可しなかった者までが休暇をとった事実がある。しかし、午後四時三〇分からの集会参加のために半日の休暇をとるようにとの指令を出すことは何ら違法ではないし、工場支部の委員長ないし青年部長は、不承認のまま休暇をとれという指令はしていない。
(二) 工場支部と異なり、現実に人員の削減を伴う職場においては、混乱ないし紛争状態は鹿児島局の予見したとおり発生することになった。業務内容の説明を聞かなかったこと、民間委託業者に対する引継ぎをしなかったこと、駅事務室への入室を阻止しようとしたことなどが行為の内容であるが、それらは、いずれも三月一一日から一五日にかけてのごく短い期間に起こったことである。
国労鹿児島地本が行った抗議闘争にもかかわらず、列車は「ほぼ、ダイヤ通り」に動いていたし、駅の窓口においても鹿児島局が否認したまま勤務についている駅員が切符を売ろうが、民間の委託された業者が売ろうが、乗客にとってはどちらでもよいことであったから、「お客さんが若干とまどわれた部分があったかもしれない」程度のことであった。
山川駅等で売上金を組合員名義で銀行に預けたことについては、勤務時間が終わった後、売上金を駅長なり助役に渡そうとしてもこれを受け取ってもらえないことから、銀行に預けたに過ぎない。人民電車事件とは、本質的に異なるものである。
6 本件免職処分の性格
本件免職処分は、国鉄の分割・民営化を前にして、分割・民営化に抵抗する国労組織の弱体化・国労組合員の排除という狙いを持つものである。これは、分割・民営化を直前にして昭和六二年二月一六日に発令された新会社への採用内定結果に露骨に現れている。すなわち、九州における組合別の採用内定者の内訳は、分割・民営化に賛同し、労使協調路線を歩んだ鉄労・動労などの組合員は一〇〇パーセント採用されたのに対して、国労組合員は、実に四三パーセントしか採用されなかった。
昭和五一年以降いくつもの合理化の提案がされたが、国労をはじめ組合側は、これに対して合理化反対を正面にすえて反対闘争をしたことはなかったし、団体交渉を経ていずれの提案も妥結をしてきた。鹿児島局が、団体交渉そして妥結というこれまでの慣行を無視ないし破棄して、合理化を一方的に実施してきた目的は、一方実施を強行すれば、国労が抗議行動を起こすことを充分見通した上で、これに対する弾圧、すなわち苛酷な懲戒処分を発して、国労に壊滅的打撃を与えることにあった。
7 まとめ
以上1ないし6の事実に照らすと、本件免職処分が、いかに濫用にわたるものであるかは明白であり、無効である。
第三争点に対する判断
一 本件合理化反対闘争に至る経緯
1 本件合理化の背景とその内容
(一) 国鉄は、昭和三九年度に欠損を生じて以来、その経営は悪化の一途をたどり、この間、国からの助成は年々増大し、国家財政の大きな負担となっていた。国鉄の経営状態は危機的状況にあり、その健全化が緊急の課題であったところ、同五五年一二月、日本国有鉄道経営再建促進特別措置法が制定された。国鉄は、同五六年五月、経営改善計画を策定し、同六〇年度において、職員三五万人体制を確立することにした。
(二) 昭和五七年七月、臨時行政調査会の基本答申が政府に提出され、その中で、国鉄問題が最重点の課題としてとり上げられ、五年以内に分割・民営化することが提言された。そして、この分割・民営化という新形態移行まで国鉄のとるべき措置として、<1>職場規律の確立、現場協議制度の見直し、<2>新規採用の原則停止、<3>作業方式・業務の部外委託等の抜本的見直し、<4>現場の要員数の徹底的合理化等が要求されている。
右答申を受けた政府は、昭和五七年九月二四日の閣議において、行政改革の大綱を定めるとともに、国鉄の事業の再建について政府声明を発表し、あわせて当面緊急に講ずべき一〇項目の対策を決定した。そのひとつとして「新規採用の原則停止等」が掲げられ、「職員の新規採用を原則停止する等の措置をとることにより極力要員数を縮減するとともに、民間における能率向上の手法も採り入れ、作業体制の見直し、配置転換の促進等により業務運営全般にわたる合理化施策を徹底させる。」ことが求められた。
また、同日、国鉄総裁を本部長とする緊急対策実施推進本部が発足し、右緊急対策実施を推進するとともに経営改善計画にかかわる基本的事項につき、総合的に調査審議し、推進をはかることになった。
(三) これを受けて、鹿児島局は、昭和五七年度(同年四月一日から翌年三月末日まで)には、新規採用の停止により、同年度末の退職者(予定者数五〇〇名)により生じた減員が補充される見込みがないことから、同年度の合理化施策として、次のもの(以下「合理化七案」という。)を実施することにした。なお、(2)、(3)、(7)については、国鉄本社において、計画されたものである。
(1) 昭和五七年度営業体制の近代化
次の措置等によって、営業関係職場の職員一一八名を縮減する。実施時期は、昭和五八年三月一日とする。ただし、ごく一部については、昭和五八年三月二五日とする。
<1> 要員運用合理化
ア 出札又は改札業務の作業体制及び勤務体制の見直し、出面人員(当該職場又は同職場における所定業務に要する配置人員の数)の縮減(宮崎駅、都城駅、鹿児島駅)
イ 運転取扱業務の廃止(妻駅)
<2> 旅行センターの廃止(川内駅、都城駅)
<3> 駅業務委託
ア 出札及び改札業務の民間委託(南宮崎駅、西都城駅、串間駅)
イ 出札、改札及び荷物取扱業務の民間委託(山川駅、岩川駅)
ウ 荷物取扱業務の民間委託(栗野駅)
エ 行先標取扱業務委託(川内駅)
(2) 運転区所における車両検修業務の部外能力活用範囲の拡大等(減員一七一名)
次の措置等によって、運転関係職場の職員一七一名を縮減する。実施時期は、昭和五八年三月一日とする。ただし、外注移行は、昭和五八年四月一日とする。
<1> 外注範囲の拡大
従来からすでに外注している業務に次のものを加える。
ア 交番検査(上回り検査)貨車
イ 仕業検査、交番検査、交番検査のうち波動のある業務 各車種
ウ 臨時検査(部品の検査を含む) 各車種
エ 附帯的作業 各車種
<2> 外注実施に伴う業務執行体制の見直し
<3> 検修業務の能率的運営と平準化
(3) 電気保全業務改善
次のとおり直轄・外注施行区分の改正を行うことによって、電気職場の職員一〇二名を縮減する。実施時期は、昭和五八年四月一日とする。
すなわち、原則として、次の設備の保全業務は、括弧内の設備に係るもの(直轄施行)を除き、外注施行とする。
<1> 電車線路設備(電車線)
<2> 電灯電力設備(電力機器の配電盤)
<3> 変電設備(遠方制御装置、一部配電盤)
<4> 信号設備(遠隔制御装置、閉塞装置、連動装置等)
<5> 通信設備(交換・搬送装置、無線装置、一部末端装置、信号回線)
(4) 昭和五六年度近代化・合理化の実施時期日等の変更について(減員二九名)
実施時期は、駅により昭和五八年三月一日から五月三一日までとする。
(5) 指宿枕崎線(西鹿児島・山川間)CTC化使用開始その他について(減員二九名)
CTC化切換・試使用開始時期は、昭和五八年三月三日とし、CTC本使用時期は、昭和五八年三月八日とする。
(6) 鉄道寮等業務の部外委託及び要員運用合理化について(減員七名)
実施時期は、昭和五八年三月一日とする。
(7) 鉄道管理局(本局)の要員縮減について(減員二二名)
実施時期は、昭和五八年四月一日とする。
2 合理化七案に係る団体交渉の経過
(一) 鹿児島局は、昭和五七年一二月二八日、動労鹿児島地本及び鉄労鹿児島地本に対して、翌二九日、国労鹿児島地本に対して、それぞれ、合理化七案について、資料を示し、更に、合理化三案については、合理化人員数が多いことから事前説明を行った。鹿児島局は、国労鹿児島地本執行委員長である古川重雄及び同地本書記長である米玉利一夫に対し、正式に提案を受け、交渉に応じるよう要請した。鹿児島局の示した合理化事案の資料は、実施細目、対象箇所、実施期日、実施内容、縮減する要員数等詳細なものであった。
(二) 翌五八年一月一七日、鹿児島局と、国労鹿児島地本の団体交渉が開催され、席上、当局の各担当課長において、前記資料を再度提示して、合理化七案を正式に提案した。なお、動労鹿児島地本に対しては、一月一七日、鉄労鹿児島地本に対しては、一月三一日それぞれ提案がされた。
なお、昭和五八年一月一七日当時、鹿児島局には約五八〇〇名の職員がおり、内約六〇〇名が管理職で、国労に所属する者が三八〇〇名強、動労が一二〇〇名強、鉄労が一〇〇名弱であった。また、動労に所属する職員の職種・職場は限られており、ほとんどが運転と検査・検修であり、鉄労については、職場は管理局などに限られていた。これに対して、国労は、職種・職場が多岐にわたっていた。
(三) 一月一七日以来、鹿児島局の玉利四男労働課長は、古川委員長及び米玉利書記長に対し、団体交渉の促進方を再三要請したが、同人らは、「まだ早い。」と答えるのみで、鹿児島局の要請に答える気配はなかった。
国労鹿児島地本は、一月三一日、鹿児島局に対し、交渉開始についての基本的解明についての申入れをした。
(四) 二月一四日に至り、ようやく、運転区所における車両検修業務の部外能力活用範囲の拡大等について、客貨車専門委員会が、電気保全業務改善については、電気専門委員会がそれぞれ開催された。
後記のとおり、この間の二月七日から二月九日にかけ、国労本部において、全国戦術委員長会議及び全国業務部長会議が開催され、「当局との交渉にあたってはねばり強く行うこと」「地方における合理化事案の最終判断は本部が行うこと」が決定され、右全国戦術委員長会議には米玉利書記長が、右全国業務部長会議には原告米満勝(国労鹿児島地本執行委員・業務部長)が出席している。
(五) 二月一六日、電気専門委員会において、国労鹿児島地本は、電気保全業務改善に対する基本解明として、(1)今後の交渉にあたっての当局の交渉姿勢、(2)電気保全業務の外注拡大による合理化施策の背景と将来展望、など一三項目について、当局の回答を求め、交渉自体の進展はなかった。また、運輸委員会が開催され、昭和五七年度営業体制の近代化及びCTC化に関する二六項目の第一次基本解明がされ、交渉自体の進展はなかった。
(六) 二月一七日、電気専門委員会及び運輸専門委員会において、鹿児島局は、前記基本解明の応答に終始し、鹿児島局提案自体についての議論はできなかった。また、運転区所における車両検修業務の部外能力活用範囲の拡大等について、機関車専門委員会が、初めて開催され、当局が組合側に提案説明した。
(七) 二月一八日、電気専門委員会及び運輸専門委員会が開催されたが、鹿児島局において、解明要求の応答に終始した。また、機関車専門委員会及び客貨車専門委員会の合同交渉においては、組合側から二一項目の解明要求がされた。
(八) 二月一九日、機関車専門委員会及び客貨車専門委員会の合同交渉において、当局は前記解明の応答に終始し、更に機関車関係について、九二項目もの解明要求がされた。
同日、玉利課長は、古川委員長に、電話で、交渉の促進方を強く要請したが、同人は、「そんなに急ぐこともあるまい。」と言ってこれに応じようとしなかった。
(九) 二月二一日、営業体制の近代化について団体交渉が行われた。電気専門委員会において、前記解明につき、組合は、当局の説明で了解したものの、新たに一九項目の解明要求がされた。運輸専門委員会において、解明要求の交渉がされた。機関車専門委員会及び客貨車専門委員会において、貨車交番検査両数減の取扱いで紛糾した。
(一〇) 二月二二日、機関車専門委員会及び客貨車専門委員会の合同交渉は、昨日同様紛糾し、交渉は進展しなかった。電気専門委員会における交渉では、実質協議に入らなかった。
(一一) 鹿児島局は、当初、労働条件の整理時期、すなわち、合理化人員の数を確定する時期を昭和五八年二月中旬ころ、実施時期を三月一日とする予定であった。
三月一日実施と予定をした理由は、合理化の前提となる年度末退職者の退職が四月一日付けであることから、退職者が二月下旬ころから有給休暇を消化するために休暇をとるため、各職場で要員の不足をきたすことになるので、鹿児島局としては三月一日には民間業者への業務委託等の合理化を実施して、合理化した人員をもって不足する要員を補充する方針であったからである。それまでの団体交渉の経過に鑑み、三月一日実施は困難であったが、できるだけ早期に実施するために、一日も早く整理する必要があった。
そこで、二月二三日、鹿児島局は、総務部労働課長名で「交渉促進について」と題する文書(<証拠略>)を古川委員長に手交し、労働条件の整理の時期を延期するとともに、交渉促進について理解を求めたが、古川委員長及び原告米満業務部長(交渉部長でもある。)は、当局指定の整理時期では時間が足りないと言ってこれを拒否した。右文書の内容は、整理の時期について、<1>指宿枕崎線(西鹿児島・山川間)CTC化の使用開始につき、三月一日、<2>運転区所における車両検修業務の部外能力活用範囲の拡大等につき、三月一日、<3>電気保全業務改善につき、三月三日、<4>昭和五六年度、昭和五七年度各営業関係近代化につき三月四日というものであった。
(一二) 二月二四日、機関車専門委員会及び客貨車専門委員会の合同交渉では、相変わらず、貨車交番検査両数の問題で紛糾し、交渉は進展しなかった。
(一三) 二月二五日、運転区所における車両検修業務の部外能力活用範囲の拡大等及び電気保全業務改善について団体交渉が行われたが、本論の検討には至らなかった。
(一四) 二月二六日、鹿児島局の片岡総務部長と古川委員長が、団体交渉妥結の促進方について会談した。席上、片岡総務部長において、「当局は、年度末の人事異動を控えているので、三月五日までにすべてを整理したい。」旨話したところ、古川委員長は、「国労本部は、これらの合理化に反対しているが、鹿児島局の要請事情を考えると、三月一〇日から一五日までに整理せざるを得ないと考えている。」と答えた。なお、後記のとおり、国労鹿児島地本は、昭和五八年二月一〇日に開催された国労鹿児島地本合理化対策委員会において、合理化に対する基本的な対応として「合理化の到達点づくりは、三月一五日、一六日におき、交渉の強化をはかる。」と決定していた。
(一五) 二月二八日午前、鹿児島局は、運転区所における車両検修業務の部外能力活用範囲の拡大等につき、整理時期を三月一日から三月四日に延期することとして、<1>指宿枕崎線(西鹿児島・山川間)CTC化の使用開始につき、三月一日、<2>昭和五七年度営業関係近代化につき三月四日、<2>運転区所における車両検修業務の部外能力活用範囲の拡大等につき、三月四日、<4>電気保全業務改善につき、三月三日、<5>鉄道寮等業務の部外委託及び要員運用合理化につき、三月四日と、更に「日程どおり整理されない場合は、当局の責任において実施することを申し添える。」と記載された、片岡総務部長名の文書(<証拠略>)を古川委員長に手交した。
古川委員長は、右文書が手交された際、神谷局長に面会を申し入れ、二月二八日午前一〇時三〇分から一一時五〇分まで、局長室において、神谷局長、片岡総務部長、玉利労働課長と古川委員長、徳田執行副委員長、米玉利書記長の会談が行われた。席上、組合側の三月一〇日までの間に整理したい旨の要求に対して、神谷局長が検討してみたいと答えた。しかし、二月二八日午後一時三〇分、片岡総務部長は、古川執行委員長、米玉利書記長を総務部長室に招き、両名に対し、合理化三案についての労働条件の整理時期をすべて三月七日まで延期する旨、更に「日程どおり整理されない場合は、当局の責任において実施することを申し添える。」旨を記載した二月二八日付けの片岡部長作成の書面(<証拠略>)を手交し、労働条件の整理についての交渉の促進方を強く要請した。
運輸専門委員会、機関車専門委員会及び客貨車専門委員会で交渉がされたが、解明要求についての協議に終始し、本論に入ることができなかった。
(一六) 三月一日、機関車専門委員会、客貨車専門委員会及び電気専門委員会における交渉では、前記解明について協議がされ、更に新たな解明要求がされた。
(一七) 三月二日、営業部総務課長堂山幹生が、国労鹿児島地本吉松支部執行委員長で、運輸専門委員会担当の交渉委員である宮路勇に対し、「今回の事案整理で組合側が日程不足ということであれば、当局は、三月三日及び四日も二四時まで誠意をもって交渉する考えである。それでも不足であれば土曜(五日)、日曜(六日)も交渉を考えている。総務部長も同じ考えである。」旨、当局の意向を明らかにした。これに対し、宮路支部委員長は、「明日三日は職場報告のため交渉はできない。説明員を分会長一名に絞ったのは、分会長が三日間交渉を行い、一日間は職場に報告するためである。この職場報告を当局が認めないとすれば、説明員を分会の三役とすることを要求する。明日の団交措置は取り消してもよい。また、二四時までは交渉しない。日曜日は生活設計のこともあり、交渉はしない。」と述べた。そこで、堂山課長が、「当局はいつでも交渉できる態勢をとっているので、団交措置はそのままにしておく。職場報告のため交渉しないということは、組合側が交渉を拒否したということになるだけである。ぜひ七日に整理できるよう交渉したい。」旨警告したところ、宮路支部委員長は、「そのようにとられても仕方がない。」と言った。更に、三月四日の団体交渉の席上、宮路支部委員長は、「本日は夜(一七時以降)まで交渉しない。日曜日も交渉しない。一方実施した場合は、栗野駅荷物取扱業務委託に伴う委託業務は阻止する考えである。」と発言した。
(一八) 三月三日、機関車専門委員会においては、前記解明について一通りの整理が終了した。
しかし、客貨車専門委員会及び電気専門委員会においては、解明について協議したものの、進展がなかった。
(一九) 三月四日、合理化三案について団体交渉をしたが、妥協に至らなかった。なお、合理化七案の内、合理化三案を除く四項目については、三月四日までに、合計二回程度の交渉で、国労鹿児島地本と鹿児島局との間で、妥結した。合理化三案については、その後、団体交渉が行われていない。
ところで、運輸専門委員会における交渉の席上、宮路勇委員は、「総務部長の申入れによると、要員要求は七日一二時までに提出せよとのことであるが、施策実施可否の見極めをしないと要求は出せない。第二次解明要求を行い、見極めをするのが七日となるので間に合わない。当局が一方実施をした場合は当局の責任である旨申し入れておく。なお、本日は、夜(一七時以降)までは交渉しない。日曜日も交渉しない。一方実施した場合は、栗野駅荷物取扱業務委託に伴う委託業務は阻止する考えである。」旨の発言をした。
鹿児島局は、片岡総務部長名で三月四日付け「当面の交渉事案の取扱いについて」と題する書面(<証拠略>)を古川委員長に手交した。その内容は、「交渉中の合理化三案については、昨日までの交渉経過から三月五日で終了すると判断している。この見解に対して貴側が否定するのであれば、三月六日に交渉を設定するので応じられたい。三月六日に貴側が交渉に応じないならば、当局は三月五日で解明はすべて終了したものとみなす。なお、三月七日の労働条件の整理のスケジュールは次のとおりとする。(1)要求は文書で一二時までに提出されたい、(2)一二時を過ぎた場合は、いかなる要求といえども受理しない、(3)最終整理の目途は一七時五分とする。」というものであった。
(二〇) 三月五日及び六日、鹿児島局が設定した団体交渉につき、国労鹿児島地本は、これを拒否した。
しかるに、国労鹿児島地本は、三月六日、鹿児島局に対して、団体交渉の継続方の申入れ(<証拠略>)をした。
三月七日、鹿児島局は、国労鹿児島地本に対し、「組合側は、三月四日の交渉を一方的に打切り、三月五日、六日の交渉に応じていない。これは、組合側の主張と矛盾すると考える。」旨、前記申入れについての回答をし、団体交渉には応じていない。
国労鹿児島地本は、三月七日、更に、鹿児島局に対し、団体交渉の継続を求める文書(<証拠略>)を提出したが、鹿児島局は、団体交渉に応じていない。
合理化七案に係る動労鹿児島地本及び鉄労鹿児島地本との団体交渉は、前者が三月七日深夜、後者が翌八日未明、それぞれ円満に妥結するに至った。
三月八日朝方、鹿児島局は、右妥結内容を国労鹿児島地本に手交し、要員要求があれば、同日午前中に提出するように要請したが、同鹿児島地本は、要求を提出しなかった。
3 合理化七案に対する国労鹿児島地本の対応
(一) 国労鹿児島地本は、昭和五八年一月一〇日、各支部代表者会議を開催し、一月一七日の鹿児島局による合理化七案の提案を受けて、一月二〇日には、本部と地本三役・業務部長打合せ会議、一月二八日には、闘争委員会、二月一〇日には、合理化対策委員会をそれぞれ開催し、合理化対策委員会において、本件合理化交渉に対する基本的対応として、(1)交渉は、当局の一方的実施を許さない配置をする、(2)他の組合の先行妥結を許さない、(3)三月一五日、一六日を目標に到達点作りができる方向で交渉を追い上げることなどを確認した。次いで、二月二一日には、各支部委員長・書記長会議、三月一日には、拡大代表者会議が開催された。
なお、これに先立ち、二月七日から九日までの間、国労本部で「全国戦術委員長会議」及び「全国業務部長会議」が開催され、国労鹿児島地本から、前者には米玉利書記長が、後者には原告米満が出席して、(1)当局との交渉にあたっては、ねばり強く行うこと、(2)地方における合理化事案の最終判断は本部が行うことが確認された。
(二) 鹿児島局において二月二八日午後、三月七日までに合理化三案が妥結しない場合には、当局において一方的に実施する旨通告してきたことに対し、鹿児島地本は、これ以上鹿児島局と交渉することは徒労であるとの感を深めた。しかし、(1)当局に対し合理化交渉をここで打ち切ることは、一方実施の口実を与えることから、引き続き交渉は解明要求・具体的要求を対置し、組合主導によって継続する、(2)当局が三月七日、一方実施を行う場合は、国労組合員の総団結を呼びかけ、体制を確立し総抵抗を全職場で展開する、(3)地調委、弁護士等と十分連携を密にし、法廷闘争も辞さない態度でのぞむ、(4)そのため全国戦術委員長会議の経過を含め具体的闘いについて三月五日、会議を召集し、意思統一を図ることにした。
(三) 三月五日、国労鹿児島地本は、鹿児島市福祉コミュニティセンターにおいて、傘下の各支部、各分会及び職場協議会の三役並びに、青年部長、婦人部長からなる「各支部・分会・職協三役、青婦役員合同会議」を開催し、合理化三案の実施に対して、次の事項を協議決定した。
(1) 国労は、当局のこのような攻撃に対し、全組合員が徹底した情勢の認識と、攻撃に対しては闘う意思統一を全体のものとするため、集会・職場討議を開催し、総団結で闘う体制を確立する。
(2) 当局が、三月七日、一方実施の挙に出た場合は、次の行動をとる。
<1> 直ちに緊急斡旋の申請を行い不当性を追求する。
<2> 当局に対しては、労働条件不成立の状況から、団交の継続を求める団体交渉の申入れをする。
<3> 管理局前に最大動員による集会を開催し抗議行動を展開する。
<4> 具体的闘いは、三月七日一方的実施が行われた以降、組合旗掲揚、腕章着用闘争を展開する。
<5> ビラ貼り・看板闘争については、当局が官憲と一体となった攻撃に出てくることを想定し、全職場で創意をこらし、波状的に展開する。
<6> 合理化による一方的実施は認めないことから、作業変更・配転作業については、応じないこととする。
(3) 細部の取扱いについては闘争委員会で検討し、具体的指示を行う。
(三) 三月七日、国労鹿児島地本は、傘下の各支部に対し、同日団交が決裂したとして、同日から組合旗掲揚、腕章着用闘争を実施することとし、細部については、三月八日の闘争委員長会議を開催して指令する旨、指令した。
(四) 三月八日、国労鹿児島地本は、支部代表者を集めた闘争委員会を開催し、具体的闘争方針を決定し、同日傘下の各支部に対して次の事項などを指令した。
(1) 三月八日以降、組合旗掲揚、腕章着用、ビラ貼り・ビラ配付、看板闘争を展開する。
(2) 合理化は、労使未整理の立場から、これを認めないことを各現場長・運輸長に申し入れ、「団交の再開交渉要求」で抗議する。
(3) 合理化の一方実施については、
<1> 当局が、一方的に説明会を行う場合は、これを拒否し抗議する。
<2> 合理化にまつわる工事及び外注会社の併行作業については、一切認めないことを現場長に通告する。
<3> 細部の問題発生については、支部・地方本部に的確に連絡をとり対応する。
(4) 闘いの過程では当局の挑発行為が行われるものと判断されるが、挑発にのらないよう十分に意思統一を行い、統一行動を確立する。
(5) 地方本部は職場の体制に即応し、オルグその他を逐次実施し、体制を確立する。
(五) 三月一〇日、国労鹿児島地本は執行委員会を開催した。そして、同日午後四時三〇分ころから、鹿児島局庁舎前広場において、傘下の組合員約四〇〇名を集めて抗議集会を開催し、鹿児島地本執行委員長古川重雄が鹿児島局合理化実施に対して断固闘う決意を表明した後、国労本部派遣の土屋組織部長が支援の挨拶をした。続いて、同日午後五時三〇分ころから、鹿児島県労働組合評議会(以下「県評」という。)加盟の単産組合の組合員合計約一一〇〇名がこれに加わり、「鹿児島局の労働組合否認、団交無視、反動労政糾弾」をスローガンとする総決起集会が開かれ、右県評議長上山和人が、「団体交渉にさえ応じようとしない鹿児島局の態度は労働者全体に対する挑戦である。」と鹿児島局を非難した。次いで、同集会は、(1)合理化七案について、団交の再開要求、(2)鹿児島局の合理化実施についての中止を求める抗議文の採択を決議し、右庁舎周辺をデモ行進して、同日午後七時四〇分ころ散会した。
(<証拠・人証略>)
二 本件合理化反対闘争の規模及び態様
本件合理化反対闘争は、次のとおり国労鹿児島地本が、鹿児島局管内の川内駅ほか一七箇所の現業機関において、昭和五八年三月九日から同月二八日までの間実施したものである。
1 川内支部
(一) 川内駅
(1) 川内駅において、国労鹿児島地本川内支部所属の組合員ら約三〇名は、鹿児島地本の指令に基づき、昭和五八年三月九日深夜から翌一〇日未明にかけて、駅事務室の窓、壁、ロッカー、ホームの柱及び運転室の壁両側に合計六七七枚のビラを貼った。更に同組合員ら約一七名は、一二日午後九時五五分ころから同一〇時一〇分ころにかけて、右場所等に一三六〇枚のビラを貼った。貼付されたビラの内容は、「一方実施反対」、「団交再開」、「片岡総務部長追放」「合理化粉砕」等というものであった。
(2) 同駅では、「昭和五七年度営業体制の経営近代化」の一環として、運輸係の一交がしていた列車の行先標の差し替え、列車別旅客交通量日報の取りまとめ等の業務を昭和五八年三月一七日以降、株式会社ジャパンエキスプレス(以下「ジャパンエキスプレス」という。)に委託することになっており、三月一日から一三日までの勤務時間内に、関係職員に対し、業務委託に伴う勤務ダイヤ及び作業内容の変更等の説明会を実施し、一四日から一六日の間、駅職員とジャパンエキスプレス社員との併行作業を通じて同社員の指導、教育を行った上、一七日からは同社員により作業を行うことが計画されていた。運輸係の一交の職員は、佐藤、外村、水口の三名であり、従来集札、改札業務の補助もしていたが、右補助業務もしないことになり、結局、運輸係一交は、廃止されることになった。そのため、集札、改札業務は営業係ですべてをしなければならなくなった。営業係は、牛濱、濱上、川畑、中野、久保山、上捨石の六名であり、牛濱は鉄労の職員であったが、ほかの五名は国労の職員であった。また、旅行センターも廃止されることになり、その職員六名が削減されることになった。
これに対して、国労鹿児島地本がその実施を阻止する動きがあったため、同駅駅長松井敏之は、一〇日午前八時三〇分ころから実施した点呼の際、出席した職員に対し、<1>違法な闘争に参加しないこと、<2>一一日から一三日までの営業近代化説明会には必ず出席することを指示した。また、一一日には、右闘争に参加しないよう警告した文書を駅事務室等五箇所に掲示するとともに、説明会の日時、場所、出席者指名及び説明会に出席しなかった場合は賃金の減額を行う旨等を記載した文書を改札室掲示板に掲示した。これに対し、一一日午前一〇時ころ、国労鹿児島地本川内支部執行委員長松崎安彦は、電話で同駅長に対し、「労働条件の一致をみていないのに一方的に実施するのなら、行動力を組織するぞ。押しかけるぞ。ビラ貼りもやるぞ。」などと言ってきた。
(3) 一一日午前一〇時一五分ころ、駅長は、改札室に赴き、牛濱、濱上に対し、説明を行う旨告げたところ、牛濱はこれに応じたが、濱上はこれを拒否し、重ねて駅長が業務命令を発して出席を命じたにもかかわらず、濱上は、「組合指令で拒否します。」と答えてこれに応じなかった。また、その場に赴いていた川内支部川内駅自治区分会長志摩敏行は、濱上に対して、「労働条件の一致をみていないので、組合の指示どおりやって下さい。」と言って、説明会出席への拒否をするよう煽った。その後、萩原首席助役において、濱上に対して、運輸係一交の廃止、旅行センター廃止等について説明を始めたが、濱上は、その間、公衆電話の応対をしたり、ほかの業務をしたりしていた。
続いて、駅長は、一二日には、川畑、中野の両名に対し、一三日には、久保山、上捨石の両名に対し、いずれも改札室において、それぞれ説明会に出席するよう命じたが、「組合指令で拒否します。」と答えて、駅長の説明に対して無言のままであった。
(4) 一四日午前八時一〇分ころ、駅長は、出勤してきたジャパンエキスプレスの社員を改札室に伴い、職員らに対し、本日から新勤務割による業務(行先標の差し替え、列車別旅客交通量日報の取りまとめ等の業務)についてジャパンエキスプレスの社員を指導するように命じたが、国労所属の組合員らは、いずれも、「組合の指示どおり今までの作業を行います。」と答え、勝手に従来の勤務割どおりの改札補助業務を行い、また、営業係の職員において集札、改札の業務をせず、駅長らの業務命令に従わなかった。また、改札口付近に集まっていた組合員らは、駅長らに対し、口々に罵声を浴びせたりした。このような状態が一六日まで続いた。
(5) 一七日午前八時三〇分ころ、駅長が、改札室において、当日の勤務者である中野、上捨石の両名に対し、同日から新勤務に就くよう命じたが、同人らは組合指令であるとしてこれを拒否した。このため、時折改札口が無人となり、その間、旅客は、無入鋏で改札口を通過していた。また、同日午前八時四〇分ころ、行先標を列車に積み込むため、ジャパンエキスプレスの社員である森園孝一が宮之城線の跨線橋下にある行先標置場に行ったところ、同置場のまわりに約四〇名の組合員がピケを張っており、永山虎美首席助役の再三にわたる退去要求にもかかわらず、ピケを解かなかったため、一部の列車について行先標を付けることができず、白墨で行先を記入しなければならなくなった。このような状態は、同日から二八日まで続いた。
(6) 右闘争において、同駅では、国労所属の職員が駅長の指揮命令に従わず、延べ三九名が合計三二四時間三二分欠務するに至った。
(<証拠・人証略>)
(二) 鹿児島電力区出水支区
(1) 鹿児島電力区出水支区では、「電気保全業務改善」計画に従い、昭和五八年四月一日以降、同電力区川内支区の派出所に組織変更されることになり、暫定措置として、川内支区長に出水支区長を兼務させることとし、三月五日付けをもって川内支区長有村良弘が出水支区長として兼務発令された。なお、出水支区の一七名の職員の内一二名が削減されることになった。
(2) 三月九日午前八時ころ、有村支区長が事務室において、前任の支区長山口辰雄及び同支区助役猿楽儀市と事務引継ぎを行っていたところ、同八時一〇分ころ、国労鹿児島地本川内支部出水電力区支区分会長大迫政満(同支区電力検査長)が事務室に入ってくるなり、有村支区長らに対し、「今度の合理化は、我々は一切認めていない。兼務支区長なんかもってのほかだ。川内に戻れ。」と大声で怒鳴りつけるなどして事務引継ぎを妨害した。
同八時二五分ころからの点呼の終了後、山口前支区長が職員らに対して「今日新旧支区長の引継ぎを行います。」と言って、転任の挨拶をしたところ、大迫分会長が山口前支区長に対し、「我々は、今回の合理化を認める訳にはいかない。自分たちはどんなことをしても引継ぎを阻止する。兼務支区長は絶対に認めることはできない。」などと大声で抗議した。これに呼応して、同八時三五分ころ、国労所属の職員一五名は、山口前支区長、有村支区長及び猿楽助役の制止にもかかわらず、書庫(キャビネット)四個を移動させて、有村支区長の机を囲む状態にした。このため、同支区長らは、同八時五五分ころ、鹿児島電力区長津田和親雄に連絡をとった上、同日の事務引継ぎを見合わせることにした。
結局、支区長の事務引継ぎは、三月一五日午前九時ころから一〇時三〇分ころにかけてされた。
(<証拠・人証略>)
2 鹿児島支部(原告米満、同松枝、同鳥丸関係)
(一) 西鹿児島駅
(1) 西鹿児島駅では、「昭和五七年度営業体制の近代化」の一環として、昭和五八年三月二九日以降、要員運用合理化に伴う定期券、乗車券兼用の印刷発行機投入及び勤務体制の見直し等を行い、出面人員を縮減することになっていた。そのため印刷発行機投入に伴うみどりの窓口一五番付近のコンクリート製カウンターの撤去を三月一八日に行うことが計画されていた。
(2) 三月一八日午前九時三〇分ころ、西鹿児島駅長宮内義夫は、鹿児島建築区長朝廣敏彦と右撤去工事について打合せ中、右工事場所に国労所属の組合員一五、六名が集まっているとの知らせを受けた。駅長は、同一〇時二五分ころ、同駅助役川畑巽に「関係者以外は直ちに退去せよ―西鹿児島駅長」と記載したプラカードを持たせ、同建築区長、管理局職員一二名及び工事請負業者の日本営繕株式会社の社員三名を伴って現場に赴いた。同所には、原告鳥丸及び国労鹿児島地本鹿児島支部書記長である竪山正明ほか約一五名がいた。駅長による退去通告にもかかわらず、右原告らは、同所を動こうとせず、新たに約五〇名の国労組合員が同所に押しかけ駅長らを取り囲んだ。駅長は、川畑助役に右プラカードを掲げさせるとともに再三退去命令を発したが、右原告らは、これに応ぜず、口々に、「お前たちこそ出ていけ。」などと罵声を浴びせて退去しなかった。続いて、駅長らが右工事を進めさせるべく、日本営繕株式会社の社員を伴って、同日午後〇時三〇分ころ及び午後二時一〇分ころの二回にわたり、工事場所に赴いたが、その都度、原告鳥丸及び竪山(午後〇時三〇分ころ)並びに原告鳥丸及び原告松枝(午後二時一〇分ころ)は約六〇名の組合員とともに、駅長らを取り囲むなどして工事着工を妨害した。
(3) 翌一九日午前一〇時四〇分ころ、原告米満、原告鳥丸及び竪山ら、組合員約五〇名による右同様の妨害が行われた。日本営繕株式会社は、他の業者から借りていたコンクリート切断機械の返納期限が到来したため、コンクリート切断工事未了のまま、同日午後、同機械を返還し、工事を中止せざるを得なかった。このため、右工事は、本件闘争終了後の三〇日まで着手することができなかった。
(<証拠・人証略>)
(二) 山川駅(原告松枝、同鳥丸関係)
(1) 三月一六日午前五時二五分ころ、組合員らは、山川駅の出札窓口及び改札窓口を除く駅舎の各所に「反動片岡追放」、「合理化粉砕」などと記載されたビラ約一二〇枚を貼った。
(2) 山川駅では、「昭和五七年度営業体制の近代化」の一環として、出札、改札及び荷物取扱業を昭和五八年三月一六日以降、株式会社日本交通観光社(以下「日交観」という。)に委託することになっており、三月一一日から一三日までの勤務時間内に関係職員に対して業務委託に伴う勤務ダイヤ及び作業内容の変更等の説明会を実施し、一四日及び一五日の二日間、駅職員と日交観社員の併行作業を通じて同社員に対する指導を行った後、一六日から同社員により作業を行うことが計画されていた。そのため、一一名の一般職員はすべて削減されることになった。
これに対して、その実施を阻止する動きがあったため、同駅長玉泉富雄は、三月一一日午前八時ころ、昭和五七年度営業体制の近代化の実施内容を記載した文書等を駅事務室内の壁に掲示し、同日午前九時ころ実施した点呼の際、出席職員に対し、右掲示した文書の内容を読み上げて通告した。同日午前一〇時ころ、駅長が、右職員らに対して説明を受けるよう命じた上、説明資料を配り説明を始めたにもかかわらず、右職員らは、資料を受け取らず、説明を聞こうともしなかった。翌一二日及び一三日にも説明会が実施されたが、国労所属の職員らは、駅長の説明を聞かなかった。
(3) 一三日午後〇時三〇分ころ、荷物担当、出札担当及び改札担当の各職員が収入金を持参してきたのに対し、駅長が右職員らに収入金を一回で締め切って日交観社員に引き継ぐ準備をするよう命じたが、同人らは、これに応じなかった。
同日午後五時一〇分ころ、原告松枝ほか同支部の組合員約三〇名が無断で駅事務室に入り込み、原告松枝において駅長に対し、「職員に従来どおり業務をやらせろ。」などと大声で抗議した。そこで、駅長は、午後五時四〇分ころから、右原告らに対して、数回にわたって退去命令を発したが、右原告らは、その都度罵声を浴びせるなどしてこれに応じなかった。
同九時五〇分ころから数回、日交観社員らは、同駅事務室に入ろうとしたが、原告松枝ら組合員約三〇名がピケを張って立ちふさがり、駅長の要求にもかかわらず、ピケを解こうとしなかったので、入室することができなかった。
(4) そこで、翌三月一四日午前〇時一〇分ころに至り、駅長は、日交観社員を入室させることが困難と判断し、鹿児島局に応援を求めるとともに警察への出動要請をした。午前一時三〇分ころ、駅長ら一三名は、管理局職員三〇名の応援を得た上でなんとか入室しようとしたが、組合員らと駅事務室入口付近でもみ合いとなり、入口ドアの窓ガラス二枚が割れた。
午前二時ころ、警察署長が組合員らに対し、五分以内に退去すべき旨警告したところ、原告松枝、竪山が、約五〇名の組合員を先導して退去した。そして、日交観社員は、駅事務室に入室し、助役らから出札、改札業務の引継ぎを受けた。
(5) しかし、午前五時一五分ころ、原告鳥丸、同松枝ら約一四、五名の組合員は、事務室に無断で入り、駅長の再三にわたる退去命令を無視して、出札業務を行っていた日交観社員から釣銭箱を取り上げるなどしてその業務を妨害した。八時二〇分ころ、同社員は、右原告らの一連のいやがらせにより出札業務ができず、駅事務室に待機した。
午前一〇時四〇分ころ、駅長は、勝手に切符を発売している職員に対し、切符の発売を停止するよう命じたが、同職員はこれを無視して発売を続けた。
このような状態が深夜まで続いた。
(6) 三月一五日午前六時三五分ころ、駅長が、駅事務室内に居座っている竪山ほか約一五名の組合員に対し、退去を命じたが、竪山らはこれを無視して退去しなかった。午前九時ころ、原告松枝ら組合員は、日交観社員を同室から退出させ、その就労を妨害し、国労所属の職員が、駅長の命令に反して、終日、出札、改札及び荷物取扱業務を続けた。
三月一六日にも午前九時ころからの点呼において、駅長が同日からの出札、改札及び荷物業務は日交観に委託された旨を告げ、関係職員に対して残務整理をするよう命じたが、職員らはこれに従わず、組合側の作成した勤務割にしたがって、従来どおり、それぞれ出札、改札、荷物業務をした。
その後、三月二八日までの間、駅長は、職員に対し、再三にわたり、「勤務指定表のとおり、全員日勤勤務です。必要に応じ、業務を命じますからそれまでは、休憩室で待機していて下さい。」旨命令したが、職員らは、組合側で作成した勤務割にしたがった業務についた。
(7) 三月一八日午後四時四〇分ころ、駅長が、鹿児島局からの指示に従い、「駅の収入金の取扱について」と題する掲示文を掲示し、権限のない者の取り扱った収入金は受け取れない旨を示したところ、組合員らは、これに抗議し、更に、午後六時五〇分ころ、駅長の命令に反して出務していた同駅職員が、同駅助役鶴窪俊雄に改札収入金であるとして現金一三〇円を持参し、同助役に受取りを拒否されるや、右現金を助役の机の上に放置して立ち去った。
その後同月二八日までの間、右職員らが乗客から収受した現金は助役の机上に置かれた空の菓子箱に入れられるようになった。後日これらの現金は、組合員らによって旭相互銀行指宿支店に組合員名義の口座に預け入れられた。
(8) 本件闘争において、同駅では、三月一六日から実施予定の業務委託が同月二八日まで実施されなかったほか、延べ七六名の職員が、駅長の命令に従わず、合計五九五時間二〇分欠務するに至った。
(<証拠・人証略>)
(三) 鹿児島機関区
(1) 鹿児島機関区では、「運転区所における車両検修業務の部外能力活用範囲の拡大等」の一環として、昭和五八年四月一日から検修業務の一部を部外委託することになっており、同年三月九日から一六日までの間に関係職員に対して勤務ダイヤ及び作業内容の変更等説明会を開催し、一七日から新勤務による作業を実施することが計画されていた。そこで、同区長吉村晃夫は、三月七日午後六時ころ、右説明会の日時、場所、出席者名を記載した出席者割当表を同区構内の検査詰所、検修詰所及びEL仕業詰所の三箇所にそれぞれ掲示した。そして、九日午後三時から実施した第一回説明会には、指定された者全員二二名(国労所属の組合員九名、動労所属の組合員一三名)が出席した。
ところが、三月一〇日以降、一六日までの説明会には、国労所属の組合員は全員出席しなかった。
(2) 三月一七日午前八時三〇分ころ、交番検査庫内の始業点呼において、同区検修助役岩切辰己、同市来重人は、検修関係勤務者に対し、同日から実施する新しい検修体制における具体的な要員の配置を指定し、新勤務による作業につくように命じた。午前九時二五分ころ、同区長の命により、作業状況の看視並びに適切な作業指示のため、構内巡視をしていた首席助役田原茂雄、岩切助役及び市来助役は、命ぜられた作業につかず、従来どおりの作業をしていた車両検査係迫田国治ほか二名の国労所属の組合員に対して、所定の作業につくよう命じたが、同人らはこれに従わなかった。同助役らは、その後数回所定の作業につくよう指示し、ようやく、所定の勤務に就いた。
(3) 本件闘争において、同区では、延べ二三名の国労所属の職員が区長らの指揮命令に従わず、合計四九時間一一分欠務するに至った。
(<証拠・人証略>)
(四) 鹿児島運転所
(1) 鹿児島運転所では、「運転区所における車両検修業務の部外能力活用範囲の拡大等」の一環として、昭和五八年四月一日から同区の業務の一部を鉄道産業株式会社に部外委託することになっており、三月九日から一六日までの間に関係職員に対して勤務ダイヤ及び作業内容の変更等の説明会を開催し、一七日から新勤務ダイヤによる作業を実施することが計画されていた。これに対して、国労鹿児島地本がその実施を阻止する動きがあった。そこで、同所長斉藤進は、三月六日朝の幹部点呼の席上等において、関係職員に対して説明会には必ず出席するよう通告すべきこと、及び説明会の日時、場所、出席者氏名を記載した出席割当表を職場の業務用掲示板に掲示すべきことを等を指示した。
(2) 三月九日、各担当助役は、それぞれ、朝の点呼において、職員全員に対して、説明会の実施計画を通告し、当日の出席指定者それぞれに対しては説明会に必ず出席するように命じた。更に、同助役らは、説明会の開催時刻前に、出席指定者に対して説明会に出席するように命令したが、国労所属の職員らは、「組合の指令により受けない。」などと言って九日から一六日までの説明会に出席しなかった。
(3) 三月一六日午前〇時一五分ころ、タオル等で覆面した二四、五名の組合員が同所庁舎一階の外壁及び窓ガラス等にビラ貼りをしているのを発見した同所長は、右組合員らに対し、直ちにビラ貼りを止め、退去するように注意したところ、五、六名の組合員が同所長に対して口々に、「お前が何を言うか。」、「お前はだいか。」などと罵声を浴びせた。同所長は、右組合員らに退去するよう注意を繰り返したところ、午前〇時三〇分ころに至り、右組合員らは立ち去った。右貼付されたビラの数は、庁舎一階に五六三枚、DC詰所の壁や窓ガラスに七六枚であった。なお、貼付されたビラの内容は、「国鉄分割解体をねらう監理委員会設置法反対」、「合理化の一方的な実施は許さない。」、「国民の足を奪う分割・民営化反対」、「反動片岡部長糾弾」等であった。
(4) 三月一七日から二八日までの間、同所の国労所属の職員らは、次のとおり、点呼拒否、就業拒否及び業務妨害などの行為に及んだ。
<1> 輸送部門
三月一七日、輸送本部における午前九時ころからの点呼につき、当日勤務の国労所属の職員一一名は、「組合の指示であるので点呼は受けない。」と言って、これに出席しなかった。一八日、一九日の朝の点呼も同様であった。
三月二四日午後五時一五分ころ、同所長から庫一番線の検修済の電車の引出し作業に職員を従事させるよう命じられた大知助役は、庫三番線と庫四番線との間へ赴き、同所において、運転士松尾明と構内運転係松下秀昭の両名に対し、転線作業につくよう命じたが、両名は、これを無視したため、同作業は約一時間遅れた。
<2> 気動車検修(仕業)部門
三月一七日午前九時一五分ころ、仕業七番線において、国労所属の車両検修係久木元康弘は、第八二三D列車の車両を第七三五D列車と第六二八D列車に分割する際、放送用ジャンパー(車内放送用のコードを連結する部分)を取り外す作業をしなかったため、七三五D列車は二四分、第六二八D列車は四一分、それぞれ出区遅延し、また、順次二六分、二二分、西鹿児島駅の出発が遅れた。
このような国労組合員による作業拒否及び業務妨害等の行為は、三月一七日午後、一八日、一九日にも行われ、その結果、第七四三D列車ほか一五本の気動車が三分ないし一時間それぞれ出区遅延し、三分ないし三五分西鹿児島駅の出発が遅れた。
<3> 気動車検修(内勤)部門
三月一七日午前八時二五分ころ、車両検査係の稲森勝敏ほか四名の国労組合員らは、当日作業予定の交番検査について、説明を受けていないからわからないとして、直ちに作業に就かず、三五分間作業開始が遅れ、当日予定の車両二両の検査が終了しなかった。
三月一八日、一九日及び二二日にも同様に、作業について説明を受けていないとして、直ちに命ぜられた作業に就かなかった。
<4> 電車検修部門
三月一八日午前八時五〇分ころ、庫一番線において、約一〇名の国労所属の職員が交番検査の作業を中断していたため、同所担当の助役吉永美明が、右職員らに対して直ちに作業にかかるよう命じたところ、同人らは、「我々は説明を受けていないので作業はできない。」などと言って、同助役の再三にわたる業務命令にもなかなか従わず、約一時間作業を中断した。
三月二二日には、是枝検査長が臨時の仕業検査を拒否したため、列車が三九分遅れて出区した。三月二四日には、車両検査係の川路俊雄が、「こんな車両は出せない。組合に連絡する。」と言って交番作業を拒否した。三月二八日国労所属の職員二一名が同日の点呼に欠席した。
<5> 客車検修部門
三月一七日午前八時二〇分ころ、PC検査詰所における点呼が終了したが、福留勝美車両検査係ほか三名の国労所属の職員は、川畑助役らに対し、「新体制の作業はできない。」などと抗議し、八時四五分ころまで作業命令に応じなかった。
また、同日、岩下定夫車両検査長ほか七名において、仕業一一、一二番線において、列車の仕業点検を拒否したため、列車を洗浄線に回すのが大幅に遅れた。
同様に、三月一八日から三月二八日までの間、森永泰三車両検査長ほか延べ一二三名の職員が急客第一〇二列車ほか延べ一九本の列車の仕業検査を拒否したため、同作業が所定時間帯にされず、洗浄線への回送が大幅に遅れた。
(5) 本件闘争において、同運転所では、国労所属の職員が助役らの指揮命令に従わず、延べ四二九名が合計五四一時間欠務するに至った。(<証拠・人証略>)
(五) 鹿児島運転所鹿児島支所
(1) 鹿児島運転所鹿児島支所では、「運転区所における車両検修業務の部外能力活用範囲の拡大等」の一環として、昭和五八年四月一日から同支所の業務の一部を部外委託することになっており、三月一一日から一四日までの間、関係職員に対して勤務ダイヤ及び作業内容の変更等の説明会を開催し、三月一七日から新勤務による作業を実施することが計画されていた。これに対して、国労鹿児島地本がその実施を阻止する動きがあったため、同支所長である西国原初男は、三月一〇日、職員に対して、説明会に出席すべきこと、出席しなかった場合は賃金減額等の厳正な措置を行う旨記載された警告文並びに説明会の日時、場所、出席者名を記載した出席割当表を業務用掲示板に掲示した。
(2) 三月一一日午前八時一五分ころから実施した朝の点呼の際、同支所長が、出席者全員に対して、説明会に参加するように命令したところ、竪山正明及び車両検査係で、国労鹿児島地本鹿児島運転支所分会長である米丸睦男は、同支所長に対し、「我々は、鹿児島地本の指令により説明は受けないことになっている。」などと抗議し、説明会に、国労所属の職員二名は参加しなかった。
(3) 同支所長は、三月一二日から一六日までの間、職員に対し、朝の点呼の際及び構内放送を通じて、説明会への出席を命じたが、国労所属の職員は、全員説明会に出席しなかった。
(4) 本件闘争において、同支所では国労所属の職員が、支所長の指揮命令に従わず、延べ三九名が合計七五時間一〇分欠務するに至った。(<証拠・人証略>)
3 吉松支部
(一) 栗野駅
(1) 栗野駅において、国労鹿児島地本吉松支部所属の職員らは、鹿児島地本の指令に基づき、同駅改札口横の壁、ホームの柱、跨線橋両側の壁に三月一〇日に約一〇五〇枚、三月一四日に約八二〇枚のビラを貼った。なお、貼付されたビラの内容は、「組合否認、団交拒否の片岡総務部長粉砕」、「団交打ち切り反対、労働組合無視の片岡粉砕」、「一方的合理化断固反対」、「住民無視の合理化反対」などというものであった。
(2) 同駅では、「昭和五七年度営業体制の近代化」の一環として、荷物取扱業務を昭和五八年三月一六日以降、日交観に委託することになっており、三月一二日から一三日までの間、関係職員に対し、「荷物業務委託に伴う作業変更について」及び「作業順序表及び勤務ダイヤの変更について」と題する文書を配付して、荷物業務委託に伴う作業変更について説明し、三月一四日から一五日の間、駅職員と日交観社員による併行作業により、日交観社員の指導、教育を行った上、三月一六日からは同社員により作業を行うことが計画されていた。
これに対して、鹿児島地本がその実施を阻止する動きがあったため、同駅駅長である深渡瀬成美は、三月一三日午前八時四〇分ころから実施した点呼の際、職員に対し、違法な闘争に参加しないよう通告するとともに、同日「職員のみなさんへ」と題する文書を同駅休憩室の業務用掲示板に掲示して、同旨の警告をした。
三月一三日午後六時三〇分ころ、国労鹿児島地本吉松支部吉松駅自治区分会副分会長である上別府康三及び同自治区分会書記長である久木元繁は、組合員ら約二〇名を率いて小荷物室に無断で入室し、同室入口付近及び同室内に座り込んだ。午後七時四五分ころから午後九時三〇分ころまでの間、数回にわたり、同駅長が日交観社員らをともなって、小荷物室に入室しようとしたところ、右組合員らは、ピケを張って入室を阻止し、「まだ、当局との整理が終わっていない。」などと抗議を繰り返してこれに応じなかった。
(3) 日交観社員が出勤するたびに、約二〇名ないし六〇名の支部組合員が昼夜を問わずスクラムを組んでこれを阻止する状態が本件闘争終了の三月二八日まで続いた。三月一四日、新任の同駅駅長である尾堂繁行は、荷物業務を業者に委託できる状態ではないと判断し、やむなく、小荷物の受託発送の停止を決定し、小荷物室のフロントに小荷物の受託を停止する旨の文書を掲示した。ところが、組合員らは、これを無視し、三月二〇日三個、二二日一六個、二七日七個、二八日五個の荷物を荷主から受け取って組合員の自家用車でそれぞれ吉松駅と大隅横川駅に運び、同駅から発送した。
(4) 本件闘争において、同駅では、国労組合員らの業務妨害のため、三月一六日からの実施予定であった小荷物の日交観への業務委託が三月二八日まで実施されなかったほか、同駅における荷物の受託業務が三月一四日から三月二八日までできなかった。(<証拠・人証略>)
(二) 鹿児島信号通信区吉松支区
(1) 鹿児島信号通信区吉松支区では、「電気保全業務改善」の一環として、昭和五八年四月一日以降、要員を縮減することが計画されていた。
三月一〇日午後五時五分ころ、同支区事務所内で同支区長である川崎健二が前任者の野間身強及び同支区助役である今林満義と打合せ中、同支区事務掛である川上正雄ほか約一〇名の国労所属の職員は、同支区長らに対し、同職場における合理化の内容に関して、こもごも大声で、ときには、机を叩きながら、午後六時一〇分ころまで抗議を続けた。
(2) 三月一一日午後五時五分ころから五時三五分ころにかけて、右川上を先頭に約一〇名の職員は、同支区事務室にいる同支区長及び同助役のところに押し掛け、「支区長のバカが。」、「お前とは徹底的に闘うぞ。」などと罵声を浴びせ、同日深夜には、同支区の窓ガラスや壁などに同支区長個人を誹謗するビラを約三〇〇枚貼付したのを始め、近くの保線区建物及び吉松駅にも約三〇〇枚のビラを貼った。ビラの内容は、「鹿児島局始まって以来の無能支区長」、「反動川崎追放」などである。(<証拠・人証略>)
4 宮崎支部
(一) 宮崎駅
(1) 国労鹿児島地本宮崎支部所属の組合員らは、宮崎駅駅長事務室の外壁、改札口の柱や壁及びホームの柱等に、三月一〇日深夜に約三八〇〇枚、一一日深夜に約一八〇〇枚、一二日深夜に約六五〇〇枚、一三日深夜に約五三七〇枚及び一六日深夜に七七四〇枚のビラを貼った。右ビラは、いずれも同駅管理者らが手分けして除去したが、再び、組合員らがほぼ同一の場所に同一内容のビラを貼った。貼付されたビラの内容は、「民託化反対」、「暴力主任追放」などである。
(2) 宮崎駅では、「昭和五七年度営業体制の近代化」の一環として、出札、改札業務の作業体制及び勤務体制の見直しを行い、昭和五八年三月一四日以降、出面人員を九名削減することになっていた。このため、同駅駅長である緒方加津郎は、出札、改札の担当の助役に命じ、三月一一日から一三日までの間、朝の点呼の際又は作業の合間時間を利用して、出札、改札担当の全職員に勤務ダイヤ及び作業変更の説明を行わせるとともに、「勤務ダイヤの変更について」、「作業ダイヤ」と題する文書を、出札、改札室の業務用掲示板に掲示して、その周知徹底を図り、一四日からの新勤務体制に移行する準備を終えた。これに対して、国労鹿児島地本がその実施を阻止する動きがあったため、同駅駅長は、三月一三日、職員らに対し違法な闘争に参加しないよう警告した文書を駅事務室、出札室、小荷物室、貨物室、及び輸送本部の各業務用掲示板に掲示した。
(3) 三月一四日午前八時一〇分ころ、国労鹿児島地本宮崎支部書記長である鶴田靖夫ほか約二五名の組合員が、同駅出札室に乱入した。同駅出札担当助役である山下隆右は、右組合員らに対し、退室要求をしたが、鶴田らは、「お前、何をいうか。一方実施して血も涙もないのか。」などと言って、同室から退去しなかった。
同日、出勤した職員らは、助役らによる勤務指定を無視し、組合作成に係る勤務割に基づき業務を行っていた。そこで、助役は、午前八時五二分ころから九時一七分ころまでの間、各人に対し、正規の勤務指定に基づく業務に就くように業務命令を発したが、右職員らは、「何が勤務指定か、業務命令か、命令しても誰も従わないぞ。」などと言って、助役の命令に従わなかった。このような状態は、三月二九日まで続いた。
(4) 本件闘争において、同駅では、出札、改札担当職員が助役らの指揮命令に従わず、延べ三二一名が合計二七七四時間一〇分欠務するに至った。(<証拠・人証略>)
(二) 南宮崎駅
(1) 国労鹿児島地本宮崎支部所属の組合員らは、南宮崎駅待合室のガラス窓及び入口ドア、駅長室入口ドア、改札口の壁、ホームの柱等に、三月九日深夜から翌一〇日未明にかけて約六〇〇枚、一〇日深夜から一一日未明にかけて約一〇〇〇枚のビラを貼った。ビラの内容は、「合理化一方実施を許すな。」、「当局の組合否認攻撃粉砕」、「国労つぶしを許すな」、「反動労政粉砕」である。
(2) 南宮崎駅では、「昭和五七年度営業体制の近代化」の一環として、昭和五八年三月一七日以降、出札、改札の業務を日交観に委託するとともに、構内作業体制の見直しを行い、一般の職員二六名(全員が国労所属)の内一五名削減することになっており、三月一一日から一三日までの勤務時間内に関係職員に対して業務委託等に伴う勤務ダイヤ及び作業内容の変更等の説明会を実施し、三月一四日から一六日までの間、委託業務について駅職員と日交観社員との併行作業を行って同社員の指導、教育を行った上、三月一七日から業務委託等による新勤務体制を実施することが計画されていた。
これに対して、国労鹿児島地本がその実施を阻止する動きがあったため、同駅長である柳川敬蔵は、三月一一日午前八時二〇分ころ、駅事務室及び運転室の業務用掲示板に、違法な闘争に参加しないよう警告した文書及び右説明会の日時、場所、出席者氏名等を記載した説明会出席者割当表を掲示した。そして、午前九時三五分ころから実施した点呼の際、同駅助役である福豊健治が業務委託と要員合理化について説明しようとしたところ、同駅運転係である蛯原孝雄(国労鹿児島地本宮崎支部宮崎駅自治区分会書記長)らは、「労働条件が決まっていないから説明は受けないぞ。」、「労働者を侮辱するのか。」などと大声で怒鳴り、事務室内が騒然となって右説明ができない状態となった。
(3) 三月一三日午後九時五〇分ころ、鶴田支部書記長ほか組合員約八〇名は、駅前駐車場で集会を開いた後、駅長室出入口及び改札口前に座り込んだ。午後一一時二五分ころ、駅長は、日交観社員四名らとともに、駅事務室に赴いたところ、鶴田を先頭に組合員約三〇名が駅長らの前に立ちふさがり、その後方には組合員約五〇名が駅事務室の入口付近に座り込んで駅長らの入室を妨害した。駅長は、組合員らに対し、通路を開け、退去するように再三通告したが、組合員らが罵声を浴びせ、座り込みを解こうとしなかったので、一四日午前〇時一〇分ころ、入室困難と判断して日交観社員をいったん駅前駐車場に待機させた。
(4) 三月一四日午前一時三五分ころ、鹿児島局からの派遣職員二名が、日交観社員四名とともに、駅事務室に通じる階段の最上部まで来たところ、組合員約三〇名がベニヤ板二枚を横に並べ、バリケードを築いていたので、右派遣職員の内一名が組合員に対して通路を開けるよう求めたところ、組合員である池之上勇二がバリケードのベニヤ板を内側から激しく突いたため、ベニヤ板の角が右派遣職員の腹部に当たった。
(5) 三月一五日午前五時三〇分ころから、鶴田らの率いる組合員約八〇名は、駅事務室入口から改札室入口にかけて座り込んだ。六時三〇分ころ、駅長が、日交観社員三名及び鹿児島局からの派遣職員ら約三〇名とともに、駅事務室入口前に赴き、座り込んでいる約八〇名の組合員に向かって直ちに退去せよ、日交観社員を入室させなさいと繰り返し通告したが、組合員らは退去しなかった。駅長らは、八時ころから数回にわたり、駅長室への入室を試みたが、鶴田らに阻止されて入室することができなかった。そこで、現地対策本部長が、警察機動隊に出動を要請し、同機動隊は、組合員らに対して退去すべき旨警告したが、組合員らにおいて、「警察は帰れ。」と連呼して退去しなかったため、午後〇時二九分排除に着手し、午後〇時四一分に至り、組合員全員を実力で排除した。
(6) 三月一六日午前六時一五分ころ、日交観社員三名が出勤したところ、鶴田ほか数名の組合員が出札室の入口を塞いでいたため、高野助役は、同人らに対し、日交観社員を入室させて乗車券の発売をさせるよう繰り返し通告したが、鶴田らは、「入れんぞ。」、「何しにきたか。」などと大声で叫んだため、日交観社員は、駅長個室に引き返した。
(7) 三月一七日午前五時四〇分ころ、出札、改札室において、業務についていた日交観社員に対し、同駅運転係である野崎治己ほか六、七名の組合員が、「お前たちはなんごっか。」、「ここは俺たちの職場だ。」などと怒鳴ったため、同社員は業務を続けることができなくなり、駅長個室に引き上げた。
右のような、組合員らによる日交観社員に対する妨害行動が三月二八日まで連日続けられたため、日交観社員は出札、改札業務を行うことができなかった。国労所属の職員は、駅長の指示に基づくことなく、組合の作成した勤務割に従い、右業務を継続した。
(8) 三月一八日午後六時ころ、同駅営業係である飽田は、駅長の指示に基づかない出札、改札の業務によって旅客から受け取った現金を、福豊助役の所に持参したが、同助役からその受け取りを拒否されたため、右助役の机上に置いて立ち去った。
その後、組合員らは、三月二八日までの間、旅客から受け取った現金を、右助役の机上ないし組合員が用意したダンボール箱の中に入れるようになった。なお、後日、右現金は、労働金庫宮崎支店の組合員名義の口座に預けられた。
(9) 本件闘争において、同駅では、職員が駅長の指示に従わず、延べ八三名が合計六五一時間三五分欠務するに至った。(<証拠・人証略>)
(三) 都城客貨車区宮崎支区
(1) 国労鹿児島地本宮崎支部所属の組合員らは、都城客貨車区宮崎支区検修室の外壁、充電室の外壁及び宮崎駅ゼロ番ホームにある同支区列車仕業詰所の外壁等に、三月一〇日未明に約三〇〇枚、一一日未明に約四九〇枚のビラを貼った。貼付されたビラの内容は、「不当処分撤回」、「鹿児島局による一方的実施阻止」、「片岡総務部長追放」などである。また、同組合員らは、三月一一日未明、「検修外注化実施阻止」、「当局の組合否認政策粉砕」と記載された看板を同庁舎充電室の壁にクギづけした。
(2) 都城客貨車区宮崎支区では、「運転区所における車両検修業務の部外能力活用範囲拡大等」の一環として、昭和五八年四月一日から、同支区の業務の一部を部外委託することになっており、三月一一日、一二日、一三日及び一五日、関係職員に対して勤務ダイヤ作業内容の変更等の説明会を開催することが計画されていた。これに対し、三月七日午後〇時一五分ころから二三分ころまでの間、同支区横の広場において、国労鹿児島地本宮崎支部傘下の宮崎客貨車区宮崎支区分会の組合員ら約六〇名による合理化反対決起集会が開催された。
同支区長である伊達寛之が、三月九日午前八時二五分ころからの朝の点呼において、出席職員に対し、三月一一日からの右説明会への出席を通告したところ、国労宮崎客貨車支区分会長である高山祐一郎は、支区長に対して、「当局は協定を無視している。」、「車両検修業務の合理化はまだ団交で整理されていない。」などと大声で抗議した。
(3) 三月一一日午前八時二五分ころ、支区長は、点呼の席で、職員に対し、右説明会実施計画を通告するとともに、その出席を命じ、以後一二日、一三日及び一五日の朝の点呼時には支区長が、説明会開始時刻である午後三時ころには助役が、それぞれ当日説明会出席予定の職員に対し、出席を命じた。
これに対して、職員は、全員が国労所属であり、一人も説明会に出席しなかった。
(4) 本件闘争において、右支区では、職員が検修業務部外委託に伴う業務変更説明会に出席しなかったことなどにより、延べ二〇名が合計二〇時間一五分欠務するに至った。(<証拠・人証略>)
5 都城支部
(一) 西都城駅
(1) 西都城駅において、国労鹿児島地本都城支部所属の組合員らは、同駅コンコース正面ガラス、便所及び小荷物室等に、三月八日深夜から九日未明にかけて約三四〇枚、九日深夜から一〇日未明にかけて約一三〇〇枚、一〇日深夜から一一日未明にかけて八〇〇枚のビラを貼った。貼付されたビラの内容は、「反動片岡総務部長を追放せよ。」、「当局の組合否認攻撃粉砕」、「国労つぶしを許すな」などである。
(2) 同駅では、「昭和五七年度営業体制の近代化」の一環として、出札、改札の業務を昭和五八年三月一七日以降、日交観に委託し、職員一二名を削減することになっており、三月一一日から一四日までの勤務時間内に、関係職員に対し、業務委託に伴う勤務ダイヤ及び作業内容の変更等の説明会を実施し、一四日から一六日の間、駅職員と日交観社員による併行作業により、日交観社員の指導、教育を行った上、一七日からは日交観社員により作業を行うことが計画されていた。
これに対して、国労鹿児島地本がその実施を阻止する動きがあったため、同駅駅長である宮本兼愛は、三月一一日午前八時三〇分から駅事務室で実施した点呼の際、出席者全員に対し、本日から一四日までの営業近代化説明会には必ず出席すること等を伝えた。
午後三時ころ、国労鹿児島地本都城支部都城駅自治区分会書記長である平川勉を先頭に約三〇名の組合員は、駅長室に入室し、駅長の退去命令を無視し、午後六時ころまで、駅長に対し、「無能駅長」、「ロボット駅長」などと罵声を浴びせ、「局長に交渉再開の上申書を書け。」などと要求した。
(3) 三月一二日、駅長は、点呼時に職員らに対して、説明会に出席するよう命令したが、職員らは、「組合指令で出席しない。」と言ってこれを拒否した。
(4) 三月一三日午後二時三〇分ころから、国労鹿児島地本都城支部執行副委員長である平林徹の指揮する組合員約六〇名が駅事務室の出入口を塞いでピケを張り、駅長及び鹿児島局から派遣された現地対策要員二名の入室を妨害し、更に、駅長の入室後、室内に入り、駅長の退去命令にもかかわらず、「我々は、賃金カットも処分も覚悟している。」、「無能駅長」などと叫んでその場にとどまった。また、午後七時三〇分ころから一〇時一五分ころまでの間、駅長が勤務中の出札、改札担当の職員らに対して日交観社員への事務引継ぎの準備を命じたが、同職員らは、「組合指令によりできない。」などと言って、これを拒否した。
(5) 三月一四日午前〇時二〇分ころ、平林ら約六〇名の組合員は、ピケを張って、駅長及び日交観社員らの駅事務室への入室を阻止した。
その後も、駅長らは、午前五時三〇分、一〇時四〇分、一一時二〇分、午後一時四五分及び二時四〇分の五回にわたり、日交観社員らを駅事務室に入室させようとしたが、組合員らの妨害により入室できなかった。午後二時四五分ころ、鹿児島局からの派遣職員である萩原は、組合員らを退去させるため、警察機動隊に出動を要請した。同機動隊の退去通告により、ピケを張っていた約一二〇名の組合員らが平林に誘導されて、小荷物室前の広場に移動した。そこで、駅長は、日交観社員を駅事務室に入室させ、関係職員に業務引継ぎを命じたが、職員らがこれを拒否したので、助役らが業務引継ぎを行った。
(6) 三月一五日午前八時五五分ころ、組合員約三〇名が駅事務室に入り込み、駅長の退去命令にもかかわらず、退去せず、「一日も早く団交するように局長に上申せよ。」などと言って、駅長への抗議を繰り返した。
以後、組合員らは、三月二八日まで昼夜を問わず、駅事務室に居座り続けるなどの抗議行動を続け、また、日交観の社員に対し、「ここに居ない方が良い、もう少し正常化になってから来い。」と言ったりした。
(7) 三月一七日午前五時三五分ころ、日交観社員が駅事務室に入ろうとしたが、組合員約六〇名の妨害により、入室できず、就労できなかった。以後、三月二八日まで、組合員らは、駅長の「業務を日交観社員に渡しなさい。」旨の指示に従わず、組合の作成した勤務割にしたがって、勤務を続けた。
三月一七日午前八時三〇分ころ、駅長・助役らの業務命令に反して、出札、改札の業務を行った組合員が旅客から受け取った現金を鈴木助役のところに持参してきたが、同助役において受け取りを拒否したため、その現金を助役の机の上に置いて立ち去った。
(8) 本件闘争において、同駅では、三月一七日から実施予定の業務委託が三月二八日まで実施されなかったほか、職員が駅長の指揮命令に従わず、延べ六六名が合計三八五時間四〇分欠務するに至った。(<証拠・人証略>)
(二) 小林駅
(1) 小林駅では、国労鹿児島地本都城支部所属の組合員らが、同駅の待合室の壁、放送室、案内室及び小荷物室の窓ガラス等に、三月九日に四〇五枚、一〇日に一〇六枚、一一日に二一五枚、一二日に七二枚、一五日に七三枚の合計八七一枚のビラを貼った。ビラの内容は、「現場協議を復活し、労基法を守れ。」、「合理化の一方実施を許すな。」、「当局の組合攻撃粉砕」などというものであった。
(2) 同駅では、「昭和五七年度営業体制の近代化」の一環として、昭和五八年三月一四日以降、荷物及び転てつ業務の作業体制及び勤務体制の見直しを行い、出面人員を六名削減することになっており、三月一一日から一三日までの間、朝の点呼の際に、勤務体制の見直しに伴う勤務ダイヤ及び作業内容の変更等について説明し、一四日からは新勤務割表による作業を行うことが計画されていた。これに対して、国労鹿児島地本がその実施を阻止する動きがあったため、同駅駅長である前田一郎は、三月一一日午前八時五五分ころから実施した点呼の際、出席職員全員に対して、違法な闘争に参加しないように注意するとともに、勤務体制の見直しに伴う勤務ダイヤ及び作業変更について説明をした。国労所属の職員らは、「こんな勤務表は認められない。」などと大声を出し、更に、午後四時五五分ころ、駅長室に押し掛け、「当局の勤務表を撤回せよ。」と迫ったが、駅長はこれを拒否した。
三月一二日及び一三日の点呼の際にも、国労所属の職員らは、「当局の勤務表を撤回せよ。」などと言って駅長に迫り、点呼の場を混乱させた。
(3) 三月一四日、駅長及び助役らは、国労所属の職員らに対して、当局の指示する日勤勤務に就くよう業務命令を発し、説得を行ったが、右職員らは、「業務命令は、上からの指令で聞けない。」などと言って勤務に就こうとしなかった。このような状態は、三月一五日から三月二八日まで続いた。
(4) 本件闘争において、同駅では、駅長の指揮命令に従わず、延べ五八名が合計四六四時間三七分欠務するに至った。(<証拠・人証略>)
(三) 都城客貨車区
(1) 国労鹿児島地本都城支部所属の組合員らは、都城客貨車区庁舎及び各詰所等に、三月九日に約七五〇枚、一一日朝に約四九〇枚、一一日夜半に約六五〇枚のビラを貼った。ビラの内容は、「反動片岡総務部長を追放せよ。」、「当局の組合否認攻撃粉砕」、「合理化反対」、「国労つぶしを許すな。」などというものであった。
また、組合員らは、三月一九日、彗星号の車両中に「ローカル線を残せ。」、「分割民営化反対」、「国労つぶしを許すな。」などと記載された約七〇〇枚のビラを貼った。区長、助役らが右ビラを除去しようとしたところ、組合員約一〇名は、ビラの前に立ちふさがったり、バケツの水をひっくり返したりして、区長らのビラ除去作業を妨害した。更に、組合員らは、三月二〇日、二二日、二三日にも列車内に多数枚のビラを貼った。
(2) 都城客貨車区では、「運転区所における車両検修業務の部外能力活用範囲の拡大等」の一環として、昭和五八年四月一日からの業務の一部の部外委託、三月一四日からの貨車交番検査の廃止及び気動車検修業務の一部の都城機関区への移管が予定され、三月九日から一三日までの間に関係職員に対して、勤務ダイヤ及び作業内容の変更等の説明会を開催し、三月一四日から新勤務による作業を実施することが計画されていた。
これに対して、国労鹿児島地本がその実施を阻止する動きがあったため、同区長である徳満正治は、三月九日以降、朝の点呼で再三にわたり、出席者全員に対して、違法な闘争に参加しないよう注意するとともに説明会には必ず出席するよう命じた。
(3) 同区長は、三月九日午前八時二七分から実施した点呼の際、出席した国労所属の職員全員に対して、説明会の実施計画を通告してこれへの出席を命じたところ、職員らは、口々に、「我々は、支部の指令により出席しない。」などと大声で叫び、点呼場は騒然となった。
右説明会は、同日から一三日までの間、毎日午後三時に開始する予定であったが、右の期間、朝の点呼時には区長が、午後の始業時及び午後二時三〇分ころには助役が、それぞれ職員らに対して、説明会出席を命じたが、同職員らは、説明会に誰一人として出席しなかった。
(4) 三月九日午後五時五分ころ、区長及び助役六名が区長室において会議中、都城支部副委員長平林ほか二〇数名の組合員が突然入ってきて、区長及び助役らを取り囲み、同区庁舎及び各詰所に貼付した組合のビラについて、「なぜビラを剥いだか。」、「ビラを元どおりにして返せ。」などと大声で怒鳴った。区長に詰め寄り、他の組合員も口々に同様のことを大声で叫び続けた。区長は、五回にわたり、平林らに対して、退去命令を出したが、一時間以上同室にとどまっていた。
三月一〇日、一一日、一二日、一五日、一六日、一八日及び一九日にも組合員ら多数が区長室に押し掛け、「分会の要求を聞いてもらいたい。」、「区長は団交再開の上申書を書け。」などと言って区長らを詰問し、退去命令にもかかわらず、退去しなかった。
(5) 三月一四日、区長は、朝の点呼の際、国労所属の職員に対して、同日から新しい検修組織による作業を実施する旨通達したが、組合員らは、口々に、「一方実施は誰が決めたのか。」などと大声を出して通達を妨害した。なお、この通達は、三月一九日まで毎日点呼の際に行われたが、その都度、右同様の妨害がされた。
三月一四日午前八時四〇分ころ気動車詰所において、区長らが職員二名に対して、新検修体制による勤務指示及び作業命令を発したが、職員らは、これに従わず、組合作成の勤務割に従って作業を続けたのを始めとして、三月二八日までの間、各職場において国労所属の職員らは、組合側で作成した勤務割に基づいて作業し、当局の勤務指定に従わず、業務命令を拒否した。
(6) また、三月一四日午後一時一五分ころ、修繕三番線に留置された貨車五両を南延岡駅に回送するために、区長から同貨車に白票(回送可能の表示)を挿入するよう命じられた加治木助役らが右作業に従事していたところ、検査係である徳田利光ほか一名が白票を抜き取り、赤線票(区外への移動禁止の表示)を入れ始めた。区長は、両名に対し、中止するよう命じたが、右両名は、全車両とも赤線票に替えた。その後、組合員らは、区長らの右赤線票の白票への差し替え作業を妨害したため、貨車の引き出しができなかった。
(7) 本件闘争において、同区では、職員が区長の指揮命令に従わず、延べ一七六名が合計五八八時間一七分欠務するに至った。(<証拠・人証略>)
6 志布志支部(原告武田関係)
(一) 串間駅
(1) 串間駅において、国労鹿児島地本志布志支部所属の組合員らは、三月一一日深夜から一二日未明にかけて、駅庁舎壁、待合室、構内電柱、待合室前通路側壁等に約五〇〇枚のビラを貼った。ビラの内容は、「一方的合理化粉砕」、「国鉄の解体につながる分割民営化反対」、「反動片岡総務部長追放」などというものであった。
三月一九日午前一一時五〇分ころから、国労鹿児島地本志布志支部書記長である森山徹文ほか三名の組合員は、駅長の撤去命令を無視し、同駅ホーム北側(宮崎駅側)に立看板を、改札口前ホーム上屋鉄柱にプラカードを、駅庁舎前ホーム上屋の鉄柱等に看板を立てた。看板等の内容は、「当局は、直ちに団体交渉を再開せよ。」、「一方的に我々の職場を奪うな。」、「首切り合理化絶対反対」などというものであった。
三月二〇日午前八時三五分ころ、原告武田は、組合員五名とともに、改札口の北側に六本、南側金網に四本の看板を立てた。看板の内容は、「合理化の一方実施絶対反対」、「反動片岡総務部長追放」などというものであった。
国労所属の組合員らによる看板の掲示、ビラ貼り等は三月二一日、二二日、二四日、二五日、二七日にも続けられた。
(2) 同駅では、「昭和五七年度営業体制の近代化」の一環として、出札、改札の業務を昭和五八年三月一六日以降、日交観に委託することになっており、三月一一日から一三日までの間、関係職員に対して、駅業務委託について説明し、三月一四日から一五日の間、駅職員と日交観社員の併行作業を通じて同社員に対する指導教育をした後、一六日から同社員により作業をすることが計画されていた。なお、同駅では助役一名及び一般職員三名の全員が削減されることになった。
これに対して、国労鹿児島地本がその実施を阻止する動きがあったため、同駅管理駅長である下村義明は、一一日午前八時ころ、駅業務委託に関する説明資料を駅事務室内に掲示し、午前八時三〇分ころから実施した点呼の際には、出席者全員に対して、駅業務委託についての説明をするとともに、違法な闘争に参加しないよう通告した。
(3) 三月一一日午前九時ころ、右説明会が実施され、助役である野辺平が、同日の勤務者二名に対し、営業近代化の内容を読み上げ、更に同人らに説明資料を手交しようとしたが、同人らは、これを拒否し、説明を聞かなかった。このような状況は、翌一二日、一三日も同様であった。
(4) 三月一三日午後一〇時一四分、野辺助役が日交観社員に業務引継ぎを始め、鹿児島局からの派遣職員が駅事務室出入口及び出札窓口カーテンを閉めたところ、外にいた約三〇名の組合員らは、「なぜ、閉めるのか。」、「開けろ。」と怒鳴り、その際、窓口のガラス一枚が割れた。
(5) 三月一四日午前五時二〇分ころ、国労鹿児島地本志布志支部執行副委員長である上谷貢一を中心とする国労所属の組合員約三〇名が、ホーム上で集会を開き、「団交に応ぜよ。」、「串間駅出改札一方実施反対」などのシュプレヒコールをし、その後、改札口付近においてジグザグデモを行い、駅事務室入口付近にピケを張った。午前六時二五分ころ、日交観社員が勤務に就くため、鉄道公安職員三名と共に同室に入室しようとしたところ、組合員らは、スクラムを組んで、同社員らの入室を阻み、駅長において「ピケを解きなさい。」、「日光観社員の入室を妨害しないで下さい。」と言って、退去命令をだしたが、これに従わず、ピケを解かなかった。そのため、日交観社員は入室できず、その後も午前六時四七分ころ、及び午前七時一〇分ころの二回にわたり、入室しようとしたが、組合員らの妨害により入室することができず、午前七時一五分ころ、やむなく小荷物受付カウンターから駅事務室に入室した。
このような、日交観社員の駅事務室への入室妨害行為は、翌一五日、一六日と原告武田を含む組合員らによって連続して続けられ、日交観社員において一時的に小荷物受付カウンターから駅事務室に入室できたことはあるものの、殆ど業務ができなかった。一六日午前一一時四二分ころ、組合員らにおいて国労鹿児島地本の指令により、駅事務室のピケを解いたため、午後一時二二分ころ、日交観社員らは、駅事務室に入った。
(6) 駅長は、三月一四日午前六時三〇分ころ、出勤してきた営業係の渕ノ上謙一に対し、改札業務を日交観社員に引き継ぐよう命じたが、同人はこれに従わず、改札の机から動かなかった。また、渕ノ上は、午後五時二一分ころ、旅客から受領した現金を駅長のところへ持参し、駅長から日交観社員に引き渡すよう命じられたにもかかわらず、これに従わず、駅長の机の上に右現金を放置して退室した。
(7) 本件闘争において、職員が駅長の指揮命令に従わず、延べ一二名が合計八七時間八分欠務するに至った。(<証拠・人証略>)
(二) 岩川駅
(1) 岩川駅において、国労鹿児島地本志布志支部所属の組合員らは、国労鹿児島地本の指令に基づき、三月一一日深夜から一二日未明にかけて、駅庁舎、下りホーム上の待合室の壁等に約三五〇枚のビラを貼り、また、駅前広場の電柱一〇本にビラを貼りつけたベニヤ板を結び付けた。ビラの内容は、「合理化粉砕」、「片岡総務部長追放」、「一方実施粉砕」などというものであった。
三月二五日未明には、待合室、ホーム側の窓、出札窓口のカウンターの下及び改札窓口等に二五四枚のビラが貼られ、更に、上下ホーム電柱に一〇枚のベニヤ板にビラを貼った看板が結び付けられた。ビラ及び看板には、「反動片岡部長追放」などと記載されていた。
(2) 同駅では、「昭和五七年度営業体制の近代化」の一環として、改札、出札及び荷物取扱業務を昭和五八年三月一六日以降、日交観に委託することになっており、三月一一日から一三日までの間、関係職員に対して、駅業務委託について説明し、一四日及び一五日に、駅職員と日交観社員との併行作業により同社員の指導、教育を行った上、一六日から同社員により作業を行うことが計画されていた。同駅では、一般職員の七名の内五名が削減されることになった。
これに対して、国労鹿児島地本がその実施を阻止する動きがあったため、同駅駅長である吉国政明は、三月一一日午前八時三〇分ころから実施した点呼の際、出席者全員に対して、違法な闘争に参加しないよう通告するとともに、駅業務委託についての説明資料を各関係職員に配付して説明し、更に、点呼終了後、右説明資料を駅事務室の掲示板に掲示して、違法な闘争に参加しないよう警告した。
そして、三月一一日から一三日までの説明会は、支障なく実施された。
(3) 三月一三日午後九時四五分ころ、同日から業務引継ぎを受ける日交観社員二名と共に鹿児島局から派遣された現地対策副本部長である新内善夫ほか六名と鉄道公安職員三名が同駅事務室に入室しようとしたところ、原告武田ほか約二〇名の組合員は、同室入口を塞いで、新内職員らの入室を阻んだ。新内職員の引継ぎの妨害をやめるようにとの数回にわたる通告及び同駅長による業務の妨害をやめるようにとの多数回にわたる警告にもかかわらず、組合員らは、右社員らを入室させなかった。午後一〇時ころ、日交観社員らは、同事務室西側の荷物室側の入口から四、五名の組合員のピケを突破して入室し、日交観社員が駅職員との引継ぎを終えた。
(4) 三月一四日午前六時二〇分ころ、国労鹿児島地本志布志支部執行副委員長である牧之瀬宗一ら約二〇名の国労所属の組合員らが、上りホーム改札口付近に集まり、牧之瀬において、駅長に対し、「改札は、職員ですべきだ。」などと抗議し、同日昼ころまで、日交観社員の改札業務等を妨害しようとした。
(5) 原告武田は、三月二七日午前九時四〇分ころ、駅長に対し、「裏口からこっそり日交観社員を入れて泥棒猫みたいなまねをした。」などと言って激しく抗議した。(<証拠・人証略>)
7 工場支部―鹿児島車両管理所(原告柿本関係)
(一) 鹿児島車両管理所自体においては、合理化計画はなかったが、国労鹿児島地本工場支部執行委員長である原告柿本は、鹿児島局の合理化三案に対する反対闘争を支援するとして、三月七日付け書面により右管理所内の各国労分会執行委員長に対し、組合旗掲揚、腕章着用を指令した。右指令を受けた同支部傘下の各国労分会は、三月八日それぞれ各職場の始業点呼終了後、一斉に支部及び分会の組合旗を立て、腕章、ワッペンの着用を実施した。
三月一八日夜半から翌一九日の早朝にかけて、同所構内の各建物の窓ガラス、外壁等に、「年休自由利用を認めよ。」、「片岡総務部長糾弾」などと記載されたビラ三七〇五枚が貼られた。
(二) 三月一四日、原告柿本及び国労鹿児島地本工場支部青年部長である湊洋一郎の両名は、書面によって傘下の各分会青年部長及び常任委員に対して、闘争指令を発し、午後〇時すぎから〇時四五分ころまで、同車両管理所庁舎前広場において、無断で職場集会を実施し、その際、右支部執行副委員長である諸正光司、同執行委員(教宣部長)である追立泰行の両名は、同広場にある高さ約二〇メートルの給水用高架タンクの手すりに組合旗一本を掲揚した。
(三) 三月一六日午後〇時一〇分ころから〇時四五分ころまでの間、同工場支部の組合員約一四〇名は、同車両管理所庁舎前広場において、第二回目の職場集会を開催して気勢を挙げ、その際、同支部執行委員である山口武文、同追立泰行、同支部諸正光司副委員長の三名は、同所長の制止を無視して、給水用高架タンクの手すりに組合旗一本、赤旗五本を立てた。
(四) 三月一七日午後〇時一〇分ころと二時四〇分ころの二回にわたり、組合員らによって青年部所属の職員のタイムカード(出務カード)一一四枚が持ち出された。午後三時ころ、同支部執行副委員長である皆元光男が右持ち出されたタイムカードを返還した。
原告柿本らは、午後一時すぎころから、総務科、資材科及び計画科に赴き、組合員らに対し、「今日の青年部動員に是非参加してほしい。年休票を提出せよ。」などと言った。
午後一時一五分ころ、総務科の川畑正夫ほか四名は、原口総務科長に半休(年休の半日分)の申請をしてきた。原口科長は、一名についてだけこれを認め、他の四名に対しては、業務の正常な運営に支障があるとして、半休は認められない旨通告したが、川畑ほか三名は、職務を放棄して退出した。
午後一時三〇分ころ、計画科の森田高司が午後の年休を申し込んできたのに対し、同科営繕科長である久保正美は、「仕事が忙しいので、半休は不承認です。」と通告したが、森田は、午後一時四五分ころから職場を離脱し、午後四時五〇分まで業務を放棄した。
(五) 同車両管理所全体において、国労所属の組合員一九三名が三月一五日から一七日までの間に三月一七日全日又は同日午後半日の年休付与申請をしたが、各担当助役は、業務上の必要から一一三名につき年休を承認し、残りの八〇名についてはこれを不承認とした。ところが、右不承認とされた八〇名は、三月一七日午後〇時四五分から一時四五分ころの間、それぞれ職場から離脱し、午後四時五〇分まで職務を放棄した。
(六) 三月一八日、一九日、二二日ないし二六日、二八日ないし四月一日、四日までの間、同所内の電機、工機、旅客車、貨車、製缶及び台車、部品の各職場において、点呼終了後や休憩、休息時間に、組合役員又は組合員らは、それぞれの担当助役に対して、三月一七日の年休申請に対する取扱いに関し、「現在、当局がとっている態度について問題はないか。休暇申請についてなぜ理由をかかなければいけないのか。当局の行為は社会通念上正しいのか。」などと言って、年休申請に対する当局の取扱いについての抗議を繰り返した。
(七) 本件闘争において、同所では、職員が所長の指揮に従わず、年休が承認されなかった八〇名が合計三一五時間欠務するに至った。(<証拠・人証略>)
8 まとめ
本件合理化反対闘争により、三月一七日ないし一九日及び二二日の西鹿児島駅発の旅客列車合計一八本が一分から三九分遅延し、川内駅ほか一三箇所の現業機関において、延人員一四四八名が合計七〇六七時間四五分欠務するに至った。また、三月九日から二六日にかけて、西都城駅ほか六六箇所の現業機関等の建物に合計五万八〇六二枚の、四一本の列車に合計二万二五八二枚のビラが貼られた。(<証拠・人証略>)
三 原告らの本件合理化反対闘争における役割
1 原告米満勝
原告米満は、国労鹿児島地本の執行委員(業務部長)として、鹿児島地本主催の各支部・分会・職協三役・青婦役員合同会議等に参加し、本件合理化反対闘争に参画するとともに、これを指導し、自らも、三月一九日、西鹿児島駅に赴き、同駅における前記闘争に参加し、これを直接指揮した。
2 原告松枝覚
原告松枝は、国労鹿児島地本鹿児島支部委員長として、本件合理化反対闘争を指導し、自らも、三月一三日から一五日にかけて山川駅に赴き、また、三月一八日は西鹿児島駅に赴き、右各駅における前記闘争に参加し、これを直接指揮した。
3 原告鳥丸昭三
原告鳥丸は、国労鹿児島地本の執行委員(組織部長)として、鹿児島地本主催の各支部・分会・職協三役・青婦役員合同会議等に参加し、本件合理化反対闘争に参画するとともに、これを指導した。また、自らも、三月一四日、山川駅に赴き、同駅における前記闘争を直接指揮した。次いで、三月一八日及び一九日、西鹿児島駅に赴き、同駅における前記闘争に参加し、これを直接指揮した。
4 原告柿本操
原告柿本は、国労鹿児島地本鹿児島工場支部委員長として、本件合理化反対闘争を指導し、また、自らも、三月一七日、鹿児島車両管理所において、同所における前記闘争を指揮した。
5 原告武田佐俊
原告武田は、国労鹿児島地本志布志支部執行委員長として、本件合理化反対闘争を指導し、自らも、三月一三日岩川駅に赴き、また、三月一五日、一六日、一八日ないし二一日、串間駅に赴き、各駅における前記闘争に参加し、これを直接指揮した。
(前掲各証拠)
四 本件免職処分の効力について
1 原告らの行為の懲戒事由該当性
国鉄法三一条一項は、懲戒権者たる国鉄総裁は、懲戒処分として免職、停職、減給又は戒告の処分をすることができる旨を、日本国有鉄道就業規則六六条一七号は、職員に「その他著しく不都合な行いのあった場合」は、懲戒を行う旨をそれぞれ規定する。
そこで、前記二、三において認定した原告らの行為の懲戒事由該当性についてみるに、右原告らの行為は、国鉄法三一条一項及び日本国有鉄道就業規則六六条一七号に該当するといえる。
2 本件免職処分の有効性について
(一) ところで、懲戒権者が懲戒事由に当たる行為をした職員に対し、右四種の懲戒処分の内、具体的にどの処分を選択すべきかについての基準を定めた規定はない。懲戒権者は、懲戒事由に該当すると認められる行為の外部に表れた態様のほか、その右行為の原因、動機、状況、結果、当該職員のその前後における態度、懲戒処分等の処分歴、社会的環境、選択する処分が他の職員及び社会に与える影響等の諸般の事情を総合考慮したうえで、国鉄の企業秩序の維持確保という見地から相当と判断した処分を選択すべきである。そして、右懲戒処分の選択の判断については、懲戒権者に裁量が認められているものと解される。
しかし、懲戒権者の裁量は恣意にわたることを得ず、懲戒権者の選択が、当該行為との対比において甚だしく均衡を失する等社会通念に照らして合理性を欠く場合は、当該懲戒処分は懲戒権者の裁量の範囲を越えるものとして違法無効と解すべきである。
(二) これを本件についてみると、次のようにいえる。
(1) 本件合理化反対闘争の規模及び態様
本件合理化反対闘争は、国労鹿児島地本が、鹿児島局管内の川内駅ほか一七箇所の現業機関において、昭和五八年三月九日から同月二八日までの二〇日間実施したものであるが、<1>右闘争により、西鹿児島駅発の旅客列車一八本が遅延し、川内駅ほか一三箇所の現業機関において、延人員一四四八名が合計七〇六七時間四五分もの長時間欠務するに至ったこと、<2>山川駅、南宮崎駅及び西都城駅においては、出札、改札及び荷物取扱いの業務を民間に委託することになっていたが、三月一三日、多数の組合員において、ピケを張るなどして、業務の引継ぎを妨害した上、三月二八日まで駅当局の指揮命令を排除して、国労所属の駅職員をして出札及び改札等の業務を不法に取り扱わせて、旅客から受け取った現金を組合の管理下においたこと、<3>栗野駅においては、荷物取扱業務を民間に委託することになっていたが、組合員らの妨害により、三月一四日から二八日まで荷物取扱い窓口を閉鎖せざるを得なくなったところ、その間、組合員らが、勝手に荷主から荷物を受け取って吉松駅等に運び、同駅から発送したこと、<4>川内駅においては、列車行先標示板の取扱業務を民間会社に委託することになっていたが、三月一四日から一六日までの間、駅長の命令に従わず、国労鹿児島地本の指示による作業がされたこと、<5>南宮崎駅においては、警察機動隊によって、駅事務室から不法に退去しなかった組合員らが実力で排除されたこと、また、山川駅においては、組合員らと駅長らとのもみあいにより駅事務室入口ドアの窓ガラスが二枚割れ、警察署長の警告により、組合員らは、駅事務室から退去したこと、西都城駅においても、警察機動隊の退去通告により、組合員らが退去したこと、<6>西鹿児島駅においては、三月一八日から要員合理化に伴う定期券、乗車券兼用の印刷発行機投入に伴うみどりの窓口付近のコンクリート製カウンターの撤去工事に着手することになっていたが、同日から翌一九日の間、多数の組合員が工事請負業者らを取り囲むなどして、これを妨害したため、右工事は三月三〇日まで着手できなかったこと、<7>鹿児島機関区、都城客貨車区、鹿児島運転所及び鹿児島運転支所においては、運転区所における車両検修業務の部外能力活用範囲の拡大等の実施にあたり、三月九日から一六日までの間、作業内容の変更等についての説明会を開催したが、国労所属の職員はこれに参加せず、点呼拒否、就業拒否、業務妨害などの行為をしたため、列車の出発が遅れたこと、<8>鹿児島車両管理所においては、三月七日から四月四日までの間、多数の組合員が同管理所には直接関係のない合理化三案をとりあげ、国労鹿児島地本への支援と称し、同管理所当局に抗議を繰り返し、組合旗の掲揚及び腕章・ワッペンの着用をしたほか、年休が承認されないまま、職場を放棄したこと、<9>鹿児島電力区出水支区においては、組合員らが、電気保全業務改善計画に伴う、組織変更に抗議し、同支区長の事務引継ぎを妨害したこと、<10>三月九日から三月二六日にかけて国労組合員の手によって、西都城駅ほか六六箇所の現業機関等の建物に合計五万八〇六二枚の、四一本の列車に合計二万二五八二枚もの数多くのビラが貼られたことなどの事情を総合すると、国労鹿児島地本所属の組合員は、極めて長期間、広域にわたって、積極的に当局の経営権ないし管理権に介入し、職場の秩序を乱し、業務の正常な運営を阻害したものといえる。
(2) 懲戒事由該当行為の原因、動機、目的
<1> 原告らは、国労鹿児島地本としては誠実に団体交渉に対応してきたのに、鹿児島局は国労鹿児島地本との誠実な団体交渉を拒否し、一方的に三月七日をもって交渉を打ち切り、従来の労使慣行を無視して団体交渉の妥結をみないまま合理化を一方的に実施したものであり、国労鹿児島地本及び原告らの行動は鹿児島局の右不当な行為に対する抗議の性格を有するものである旨主張する。
なるほど、合理化七案は、鹿児島局管内の職員約五八〇〇名の八パーセントにものぼる要員四七八名を削減するというものであって、国労鹿児島地本にとっては、組合員数が多く、職種・職場が多岐にわたり、最もその影響を受けることが予想されていた。したがって、鹿児島局との団体交渉は、組合員数が少なく、職種・職場が限られていた鉄労や動労のそれと比較すると、ある程度時間を要することはやむを得ないものといえる。また、国労鹿児島地本が三月四日までに合理化七案のうち四事案について妥結していることも明らかである。
しかし、本件合理化事案は、国鉄の業務の一部を民間会社に委託すること、或いはその業務の一部を機械化することにより要員数を縮減することを内容とするものである。合理化実施のためには、まず団体交渉の結果労使間において縮減する要員数において意見の一致をみること、即ち、労働条件の整理がなされ、然る後にそれぞれの職場において合理化された要員の範囲内で具体的に特定の職員を要員の不足する他の職場に配置転換する人事がなされることになる。そのため必要があれば新しい職場のための配置転換教育も必要となる。労働条件の整理と合理化の実施との間には、右配置転換のための人事ないし配置転換教育に必要な時間的余裕が必要である。加えて本件合理化事案は従来の合理化事案に比べて大規模のものであって一層右の必要があったといえる。更に、四月一日付退職予定者が二月下旬ころから年休を消化し始め、要員の不足を生じる職場もでる事情もあったのである。これらの事情を総合すると、鹿児島局において、当初、実施時期を三月一日と予定していたこと、したがって、実施のための準備期間を考慮すると整理時期が二月中旬となることには、合理的な理由があったというべきである。然るに、国労鹿児島地本の対応は、団体交渉が緒についたばかりの時期である二月一〇日の合理化対策委員会において、他の組合の先行妥結を許さない、三月一五日、一六日を目標に到達点つくりをすることなどを既に確認していること、団体交渉の大半を背景事情である解明要求に終始していること、他方、鹿児島局は、国労鹿児島地本の解明要求に答えてきていること、鹿児島局は団体交渉の進捗状況を見ながら数回にわたり国労鹿児島地本の意向にも配慮して労働条件整理を延期していることなどを総合すると、鹿児島局が最終的に整理時期を三月七日とし、一歩も譲れないとの態度をとったことをもって、鹿児島局が誠実な対応をしてこなかったみることはできない。
<2> 原告らは、三月七日以前に妥結しなければならない特別な事情はなく、国労鹿児島地本は、三月一〇日ころまでには、妥結するところまできていたにもかかわらず、鹿児島局において、片岡総務部長の強引な意向にひきづられて、三月七日をもって、交渉を終える旨通告したことは、鹿児島局において、団体交渉を打ち切ったものといえる旨主張する。
なるほど、二月二八日午前、国労鹿児島地本の古川委員長が、鹿児島局の神谷局長と会談した際、国労鹿児島地本側から、三月一〇日までに整理したい旨の要求がされ、神谷局長において、検討したい旨答えたことはある。しかし、鹿児島局において検討した結果、結局、三月七日に整理することは、やむを得ないという結論になった。鹿児島局の判断において、片岡総務部長の意向が強く反映していることは窺われるが、右判断自体が不当なものとはいえないことは前述のとおりであり、三月一〇日との間に、三日しか差異がないことも、予定していた実施時期が既に経過しており、一日も早く実施する必要があったこと等を考えると、それだけで、鹿児島局が誠実に団体交渉に応じなかったとみることはできない。
<3> そうすると、鹿児島局が国労鹿児島地本との団体交渉の妥結を見ないまま合理化事案の実施に踏み切ったことが国労鹿児島地本及び原告らの行動を正当化するものではない。
(3) 原告らの本件合理化反対闘争における役割及び過去の懲戒処分歴
原告らは、国労鹿児島地本の執行委員又は、同支部の委員長として、本件合理化反対闘争を計画し、又は指導したものであって、過去において、停職、減給、戒告の懲戒処分歴を有していることなどからして、その責任は重いといえる。
(三) 右(二)(1)ないし(3)などの諸般の事情を総合考慮すれば、懲戒権者である国鉄総裁のした本件免職処分は、当該行為との対比において甚だしく均衡を失する等社会通念に照らして合理性を欠くものとはいえず、本件免職処分が懲戒権者の裁量の範囲を越えるものではないから、有効と解すべきである。
第四結論
以上の次第で、原告らの本訴請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとする。
(裁判長裁判官 宮良允通 裁判官 原田保孝 裁判官 宮武康)